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妙義山の五日
みょうぎさんのいつか
作品ID48506
著者大町 桂月
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日
入力者H.YAM
校正者雪森
公開 / 更新2020-10-16 / 2020-09-30
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



むかし取つたる杵柄、如何なる嶮山でも、何の糞と侮りて、靴穿きたるまゝ、洋服のづぼんもまくらず、即ち別に毫も旅仕度せずに、山にのぼりしが、心ばかりは、むかしにて、十年來、自墮落にもちくづしたる身體の力は、もとのやうにも無し。膝關節疼痛さへ起すこと多きに、あゝわれは既に老いたるか、もはや高山に上る能はざるかと、自から歎息せしが、いや/\まだ老い込む年でも無し。慣らさば、昔の如くにならむ。むかしの如くにならずとも、十分の八までにはならむ、殊に脚袢をつけ、草鞋をはき、づぼんをまくりて、膝關節をらくにせば、疼痛は起らざらむ、よしや起りかゝるも、用心して、水にて冷やさば、之を免れむ。よし/\一つ試みて見むと、思ひたてば、矢も楯もたまらず。殊に氣澄み天高き小春の好時機也。旅行の決心は、金鐵よりもかたし。行先の如きは、末節也。必ずしも妄りに選擇するを要せず。されど、大體の見當は碓氷、妙義あたりとつけたり。五日間通用の出來る割引切符を利用せむとする也。
 何時の汽車に間にあはせて、何時に先方へ着かねばならずなどと、窮屈なる制限もなければ、心ものびやか也。四谷見付にて、街鐵線の電車より外濠線のに乘りかへむとするに、來たることおそし。來り待つもの、次第に増す。朝は何時よりといふ制限のある、つとめの人々にや、いづれも不安心なる顏付をして、電車の來る方を見つむ。電車漸く見え出したり。衆と共にしては、乘りきれずとや思ふらむ、顏に覺えのある文學博士、電車のまだ止まらぬ先より飛び乘らむとして、手だけは電車につかまりたるも、脚は之に伴はず、しばし引きずられ、漸く車掌に引つぱり上げられたり。つとめの身の心せくまゝに、かゝる滑稽も、しでかすならむと、氣の毒也。乘り切れねば、あとの電車にと、思ひ定めしが、餘地がありさうなれば、乘りて見たるに、餘地も十分の餘地、腰かくることさへ出來たり。
 上野驛にて一時間餘も待ち、高崎驛の乘換にも、一時間待ち、松井田驛に下車し、一里餘を徒歩して、日くるゝ頃、妙義町につきて、東雲館にやどりぬ。
 指を屈すれば、十八年前の事也。わづかばかりの金を懷ろにして、日光より足尾、庚申山を經て、その妙義に來りし時は、懷中わづかに五錢しか無し。案内者を雇ふに由なきのみならず、午食だに得るに由なし。五錢のうち、二錢だけにて、駄菓子を買うて午食に充てたり。その菓子屋は、祠につき當りたる左側也。今、十八年目にて來て見れば、其家なほ在り。賣る駄菓子の品數も、もととかはらぬやう也。
 ほんの一晩どまりにて、妙義と碓氷との紅葉を見むつもりなりしも、いつまでに歸らねばならずといふ身にもあらず。唯[#挿絵]嚢中が氣がゝかりなれど、電報うたば、どうにかなるべし。前遊の時は案内者なくして、白雲山は大字巖にて引きかへし、金洞山は石門を見たるのみ也。普通の遊蹤に過ぎず。このたびは、案内者をやとひて…

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