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失念術講義
しつねんじゅつこうぎ |
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作品ID | 4852 |
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著者 | 井上 円了 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779]術講義」 哲學館 1895(明治28)8月11日 |
入力者 | 田辺浩昭 |
校正者 | Juki |
公開 / 更新 | 2012-06-09 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 53 ページ(500字/頁で計算) |
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序言客あり一日余を訪ふ談適[#挿絵]記憶術の如何に及ふ余曰く記憶術より一層有益なるものは失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、序言-3]術にして世未た其必要を唱ふるものあらずと客怪みて其故を問ふ余之に告くるに失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、序言-5]術の大要を以てす翌朝館友森昌憲氏に余か談する所を其儘筆記せしめ忽ち此に一册子を成す乃ち之を印刷して世の識者に問ふ
明治廿八年七月
講述者誌
[#改丁]
第一章 發端
近日世上に記憶術を發明せる二三の人士ありて新聞廣告上に其功能を吹聽せし以來圖らずも社會の一問題となり世人大に其事に注意し此術に依て一足飛に大學者大智者とならんことを願ふものあり然るに予は會て記憶術講義と題する書を世に公にし記憶術の何たる及ひ其利害得失の如何を論し併せて記憶術は世人の豫想するか如き効驗あるものに非ることを辨明し是に依て大學者大智者とならんことを願ふは宛も卜筮人相等の方術に依て一攫千金の富を得んことを望むと同一にして一種の迷心なることを論述せり然り而して記憶術の正反對たる失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、2-5]術即ち忘却術は記憶術其物より一層必要有益なるに世人更に其利益を説かざるは予の大に怪む所なり葢し世人は記憶の利を知りて失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、2-8]の用を知らさるによる此れ實に一を知りて二を知らさるの淺見にして恰も勞働の利を知りて眠息の用を知らさるの類なり眠息あるにあらされは勞働を續くること能はさるは自然の道理にして記憶も亦然り失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、3-2]あるに非されは記憶を進むること能はす今其理由を述ふるに人の精神作用は腦膸に在りて存することは疑ふへからさる事實にして記憶作用も腦膸中に存することは固より證明を要せす故に記憶の強弱は腦膸の性質事情の如何によること亦瞭然たり故を以て腦膸の健全活溌なる時は記憶力も隨て強く腦膸憔悴すれは記憶力も隨て衰ふるに至るへし又縱令記憶の強き者と雖も其力に定限ありて犬は犬丈の記憶力を有し猫は猫丈の記憶力を有す故に犬若くは猫の仲間に於てよく其記憶力を養成する方法ありとするも之をして人間同等の記憶力を有せしむるは到底なし能はさる所なり之と同しく人間には人間相應の記憶力ありて縱令世の中に其力を養成する秘術あるも之をして人間以上即ち神佛同等の能力を有せしむること能はす唯人間中には其資性に賢愚利鈍の別あるか如く記憶力にも強弱多少の別ありて比較上甲は乙より記憶力に富み乙は丙より記憶力強きの差あるのみ其懸隔は全く五十歩百歩の相違に過きす畢竟するに是れ皆人間の腦膸に定量あり其能力に定限あるに由るなり故に世に記憶術として講習する所も其定限内に於て五十歩百歩の長短を爭ふに過きす然るに世間には記憶術の利益効驗を述へて誰人も一たひ之を學はゝ…