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桃の雫
もものしずく
作品ID4854
著者島崎 藤村
文字遣い旧字旧仮名
底本 「藤村全集第十三卷」 筑摩書房
1967(昭和42)年3月10日
入力者Nana ohbe
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-06-10 / 2014-09-21
長さの目安約 188 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

六十歳を迎へて


 年若い時分には、私は何事につけても深く/\と入つて行くことを心掛け、また、それを歡びとした。だん/\この世の旅をして、いろ/\な人にも交つて見るうちに、淺く/\と出て行くことの歡びを知つて來た。


(岩波書店の雜誌「文學」の創刊に寄す)


 古い言葉に、この世にめづらしく思はれるものが三つある。いや、四つある。空に飛ぶ鷲の路、磐の上にはふ蛇の路、海に走る舟の路、男の女に逢ふ路がそれである、と。わたしたちの辿つて行く文學にも路と名のついたものがない。路と名のついたものは最早わたしたちの路ではない。

生一本


 あるところより、日本最古の茶園で製せらるゝといふ茶を分けて貰つた。日頃茶好きなわたしはうれしく思つて、早速それを試みたところ、成程めづらしい茶だ。往時支那人がその實をこの園に携へて來て製法までも傳へたとかいふもので、大量に製産する今日普通の器械製とちがひ、こまかい葉の色艶からして見るからに好ましく、手製で精選したといふ感じがする。まことに正味の茶には相違ないが、いかに言つても生一本で、灰汁が強い。それに思つたほどの味が出ない。わたしは自分の茶のいれかたが惡いのかと氣づいたから、丁度茶の道に精しい川越の老母が家に見えてゐるので、この老母に湯加減を見て貰つた。香も高く、こくもある割合には、どうも折角の良い茶に味がすくない。自分の家の近くには深山といふ茶の老舖があつて、そこから來るものは日頃わたしの口に適してゐるので、試みに買置きの深山を混ぜて見た。どうだらう、實に良い風味がそこから浮んで來た。その時の老母の話に、茶には香にすぐれたものと、味にすぐれたものとの別がある。一體に暖國に産する茶は香氣は高くてもその割合に味に劣り、寒い地方に産する茶は香氣には乏しいがこまやかな味に富むといふ。この老母に言はせると、おそらく深山のやうな老舖で賣る茶は多年の經驗から、古葉に新葉をとりまぜ、いろ/\な地方で産するものを鹽梅し、それに茶の中の茶ともいふべき『おひした』(味素)を加味して、それらの適當な調合から香もあり味もある自園の特色を造り出してゐるのであらうとの話もあつた。
 この茶から、わたしは生一本のものが必ずしも自分等の口に適するものでないことを學んだ。生一本は尊い。しかしさういふものにかぎつて灰汁が強い。新葉の愛はもとより、古葉をおろそかにしないといふことが好い風味を見つける道であらう。鋭いものは挫かねばならぬ。柔いものは大切にせねばならぬ。淡き、甘き、澁き、濃き、一つの茶碗に盛りきれないやうな茶の味がそこから生れて來る。
 頃日、太田君の著『芭蕉連句の根本解説』を折り/\あけて讀んで見た。芭蕉は本來、生一本で起つた人に相違ない。さもなくて『冬の日』、『曠野』、『ひさご』の境地から、あの『猿蓑』にまで突き拔け得る筈もない。しかし蕉門の…

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