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幽霊
ゆうれい |
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作品ID | 48573 |
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著者 | 小野 佐世男 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「猿々合戦」 要書房 1953(昭和28)年9月15日 |
入力者 | 鈴木厚司 |
校正者 | 伊藤時也 |
公開 / 更新 | 2010-03-03 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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1
残暑がすぎ、凉風がさわやかに落葉をさそう頃になると、きまって思い出すことがある。
私はまだ紅顔の美少年(?)だった。その頃、私達一家は小石川の家から、赤坂の新居へ移った。
庭がとても広かった。麻布の一聯隊の高い丘が、苔むした庭の後にそびえ、雑草やくるみの木が、垂れさがるように見える空の上に生い茂っていた。また、丘の下のせいかじめじめとしていて、いちじくの葉が暗い蔭をところどころに手をひろげ、庭の奥の方は陽も射さぬほどだった。
黒板塀に囲まれた小粋に見えるこの家は、風流気の多い父の好みにぴったりと合っていた。かなり大きな家で、二階は十畳の客間の他に、八畳と六畳の間があり、私の部屋はこの六畳の間で、隣りの八畳は二番目の姉の居間にあてがわれた。父たちの他の者は階下に住むことになった。
台所がばかに広く、子供心に私は、雨の日はここで友達と遊べるなと、秘かに喜こんだものだが、……たたきの所に直径五尺ほどの大井戸があった。ところがこの井戸は、半分は家の中に半分は外にはみ出て、内外いずれからも使用できるようになっているので、打ち水の時などさぞ便利だろうと思われたが、奇妙なことには、部厚い板で蓋がされ、おまけに大きな釘で開かないように釘付けにされていた。釘はすっかり錆付いてほこりを浴びていた。もちろん他に水道の設備もあったので、母などは、
「まあまあ、よい井戸があるのに釘づけになっていておしいわね。でも子供が多いから、落ちでもしたらたいへんだし、当分このままにしておきましょうよ……」
と、笑いながら引越荷物をといたりしていたものだが……。
さて、近所に引越そばを配り終って、夕餉の膳がすんだ時、
「あなた、こんな立派な家なのに、ばかにお家賃が安いじゃありませんか」
と母が父に話しかけたのを聞いた。
庭に黒ずんだ蛙が、湿った土を滑りそうに這いずっている。後が水をふくんだ土手のせいか、どこよりも早く夜が訪れたように辺りは暗い。私は二階の自分の部屋に帰り、障子を開けて物干台に出た。
どこかで馬のいななきが聞える。つづいて遠く聯隊の消燈ラッパの音が、少年の私には物珍らしく又さびしく聞えた。
「坊ちゃま、ばかに淋しくていやですね。お台所にいると、なにかゾクゾクしてくるんですよ」
夜具を敷く女中のかやが私にこう話しかけた。私は本箱を整理してから、夜具にあおむいて足を思いきりのばした。
窓をしめたせいか、部屋の中はいやに蒸し暑い。だが引越の疲れが出たのか、私はいつか深い眠りに陥ちていった。
それからどのくらい時刻がすぎたか分らないが、ふと眼がさめた。――というよりも何者かに突然起こされたように眼があいたのだ。
頭は不思議と冴えていた。天井裏をながめる私の眼には、木目までもがはっきりと見えた。壁に目を移すと、額縁が曲って掛っている。(朝になった…