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おさなご
おさなご
作品ID48661
著者羽仁 もと子
文字遣い新字新仮名
底本 「羽仁もと子選集 おさなごを発見せよ」 婦人之友社
1965(昭和40)年11月1日、1995(平成7)年10月1日新刷
初出「みどりごの心」1931(昭和6)年
入力者蒋龍
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-06-05 / 2014-09-16
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 かわいいおさなご、幼児はいまもむかしも世界に充満しているけれど、そうして愛らしい意味でも、手のかかる意味でも、私たちの注意をその身のまわりにひきつけずにはおかない彼らだけれど、幼児というものをほんとうに知った人は、むかしから幾人いたでしょう。そうしてだれでも幼児をかわいがるけれど、本当の意味でかわいがる人は事実たくさんいないように思われる。おとなも子供もそれだからかわいそうである。
「汝ら幼児の如くならざれば天国に入る能わず」といって、ナザレのイエスは私たちに幼児を知れとおっしゃった。なるほど子供には罪がない、あんなにならなくてはというのだと単純にそう思う人は、すでに幼児を知らないのだと思います。なぜなら幼児にも親ゆずりの罪が十分あるからです。ただ彼らはそれを知らないのです。知らなくても罪があれば、そのある罪がはたらいて、またその上に新しい罪をつくりだしてゆきます。この大切なことをまず知らないで、どうして幼児がわかりましょう。この重大な事実をかるくみて、どうして幼児にほんとうにふかい同情をもつことができましょう。本当の同情なくして、どうしてほんとうに彼らを愛することができましょう。
 幼児はまたわれらのよろこびであります。それはだれでも知っています。それゆえに私たちは、彼らにひきつけられて、そうして彼らを愛します。しかし多くの人々は、彼らの何故にわれらのよろこびであるのかをふかく思ってみるのでしょうか。いまの私たちの幼児たちは、大むかしの幼児と生まれたときからすでにちがっているでしょう。年とった助産婦さえもそういいます。いまの赤ん坊はその人たちのはじめに見た多くの赤ん坊よりも、なにかにつけて進んでいることを述懐します。これは前の親ゆずりの罪とは反対な親ゆずりのよい能力です。生まれたときばかりではありません。それからの人となる発達の道程も、われわれの先祖がかつてはなはだ困難とした場合、および非常に多くの歳月をついやして成就したことを、よりわずかの困難と、よりみじかい月日のあいだにできるようになってきました。よしただ一、二代の親と子のあいだにおいて明らかにそれを経験することができないにしても、人間の一番新しい進歩の結果を、かくしてわれらの幼児の上にみることができるわけです。それが生物としてのわれわれの、ふかい本能的のよろこびであるにちがいないのです。
 私どもはこのようにして、われわれの幼児をよろこびとしてながめ得るばかりでなく、他の一面において、自分たちのすでに経験し努力してきた道程を、私たちの幼児もその通りに、だんだん見ることができ、聞くことができ、這うことができ、話すことができてゆくのは、そうあることを知って待っている私たちに、またじつにうれしいことです。無上の愛らしい形態のなかに秘されている、この人類全体の過去の努力と永遠にわたる望みを、私たちは知らず…

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