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最も楽しい事業
もっともたのしいじぎょう
作品ID48670
著者羽仁 もと子
文字遣い新字新仮名
底本 「羽仁もと子選集 おさなごを発見せよ」 婦人之友社
1965(昭和40)年11月1日、1995(平成7)年10月1日新刷
初出「家庭教育篇 上巻 巻頭の言葉」1928(昭和3)年
入力者蒋龍
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-06-15 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 人の世になによりも楽しいものは仕事である。張り合いのあるものは仕事である。もしも私たちにすることが与えられてなかったら、毎日どんなにつまらないものだろう。
 田園の人は、きょう耕した畑に、あすは種子をまこうと思って楽しく眠る。織りかけている機は、あすは終わるであろうと、ある人は待ちのぞむ。市の人は朝はやく起きて店を飾り、またある人々は足を早めて、事務所に工場にいそぐ。緑の畑が麦を産し、涼しい青田が米になる。われらの労作は楽しいものである。
 そうしてその楽しい仕事のなかでも、多くの愛らしい赤ん坊が、よい子供に、よいおとなに育ってゆこうとする仕事を、手伝ってやる仕事ほど、楽しい仕事はないだろう。自分の手のなかにある赤ん坊ばかりでなく、わが子、他人の子、世界中の揺籃を考えてみよう。そこに人生の涼しい青田がある。私たちはその農夫である。なんという大きな事業であろう。なんという楽しい仕事であろう。
 そこに虫の害があるではないか、旱魃があるではないか、洪水があるではないか、大風があるではないかとある人はいうだろう。自然を相手の仕事は、一面じつに正直であり、一面じつに冒険である。人の生も大いなる自然物である。よい種子をまいてよく育てたら、法則にしたがって時も違えず美しく伸びてゆくはずである。しかし古往今来、本当にわが子を立派に育てた親が幾人あるだろう。無数に生まれて一人一人に異った無量の生涯を遺して逝った人のなかで、よい人とよくない人と、優れた人と劣った人と、満足した人としなかった人とをくらべてみたら、本当の意味において成功した人びとはいうまでもなく少ないであろう。こういうことは、私たちの親としてのうれしい気持ちを暗くする。せっかく楽しいものに思った事業を、苦しいものに思わせる。不安に思いつつする仕事は、成功するものでないことはたしかである。数かぎりなく生まれた人のなかで、よい生涯を送った人が少ないとすれば、それはこの二葉が成長するであろうか、花咲くであろうかと危ぶみおそれつつ育てた親や教師が多かったからではないだろうか。
 生まれた赤ん坊に乳を求める心を教えたおぼえのある母親は、どこかに一人でもあるだろうか。赤ん坊はその生存と発達になくてならないものを、熱心に求めることを知っている。それは人類をつくり給いしものが、人類の本能のなかに、忘れずに用意して下さった働きだからである。その心もその身体と同じように丈夫に美しく育ちたいと熱心にのぞむ本能を与えられているのだと私は思っている。すべての人の親はみなそう思うことができるであろう。私たちはどこまでもこのことを信じて、しばらくも忘れてはならない。
 生まれたばかりの嬰児は、乳を上手に吸うことを知らない、またいつ乳をのむべきかを知らない。はじめての母親も、まだ赤ん坊に乳をのませることが下手である。親も子もたがいに骨折って、…

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