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写真と思ひ出
しゃしんとおもいで
作品ID48803
副題――私の写真修行――
わたしのしゃしんしゅぎょう
著者南部 修太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「サンデー毎日」 大阪毎日新聞社
1926(大正15)年6月27日
初出「サンデー毎日」1926(大正15)年6月27日
入力者小林徹、小林誠
校正者富田倫生
公開 / 更新2011-06-22 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     ◇

 寫眞も、この頃は猫も杓子もやるといふ風な、はやり物になつて、それに趣味を持つなどゝいふのが變に當たり前過ぎる感じで、却て氣がひけるやうなことにさへなつてしまつた。が、いつだつたか、或る雜誌にのつてゐたゴシツプによると、文藝の士の余技の内玉突と寫眞とでは私が筆頭ださうだ。
 無論、そんなことで筆頭などゝ認められても、格別嬉しくもないが、そも/\私が寫眞を初めたのは、十一二の時分のことで、年號にすれば、明治三十五六年、流行物どころかしろうとに寫眞など寫せるものではないといふやうな考へのある時代だつた。
 ところで、どういふ譯で、そんな子供の私が寫眞などはじめるやうになつたかといへば、その頃私は、三宅克巳氏著の「少年寫眞術」なる一書を手に入れたのだ。それは、子供向きに寫眞の沿革から撮影、現像、燒付の法、それに簡單な暗箱の作り方までを説明してある。たしか博文館發行の少年理科叢書の一册だつたかと思ふ。それを讀むことによつて、私は寫眞に對する子供らしい好奇心と興味とを大に刺戟されたのであつた。

     ◇

 當時、私の一家は長崎に住んでゐた。その長崎には、下岡蓮杖翁と並んで、日本寫眞界の元祖である上野彦馬翁が同じく住んでゐた。これは偶然「少年寫眞術」の沿革史の一節にも書いてあることだつたが、うちで寫眞を寫すといふと、いつもその上野寫眞館へ出かけたもので、その頃翁は直接撮影塲に出るといふやうなことはなかつたが、頭のすつかり銀髮になつた、額の廣い、あごの角張つた翁の顏を、この人が寫眞の元祖だといふ風な一種の敬意を以て眺めたことが、うつすりと私の記憶に殘つてゐる。――が、さて、その一書によつて深く寫眞熱をあふられた私は、何よりも寫眞機がほしくてたまらない。母はもとより私の望みなら先づ大概は聞いてもらへた祖父母にも盛んにせがんで見たが、
「子供に寫眞など寫せるものではない」
 そんなことで、到底相手にされなかつた。それに子供だましの寫眞器の二三円でも、當時では、可なりの贅澤品に違ひなかつたし、然るべき寫眞器など、無論買つてもらへるはずもなかつた。

     ◇

 仕方なくそれは諦めたが、その頃から割合に手先の器用な私だつたので、「少年寫眞術」の説明に從つて、私はとう/\寫眞器自作を志た。
 薄板を組合せて名刺形の暗箱をこしらへる。内部を墨で塗る。眼鏡屋から十五錢ばかりで然るべき焦點距離を持つ虫眼鏡を買つて來て竹筒にはめ込んだのを、一方の面にとりつける。それに蓋をつける。最も苦心したのは、乾板を入れる裝置の處だつたが、とに角一週間ほどの素晴らしい苦心で、それが、どうにか出來上つた。
 それから或る日、町中を探し歩いてやつと見つけたのが、藥屋が主の寫眞材料店、名刺形の乾板の半ダース、現像液に定着液、皿、赤色燈、それだけは懇願の末、祖母から資金を貰つたのだ…

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