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J. K. Huys Mans の小説
ジェー. ケー.ハイズマンズのしょうせつ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「新潮 第十九巻第三号」1913(大正2)年9月1日
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2018-05-12 / 2018-04-26
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 J. K. Huys Mans あたりで、フランスの新らしい文章は一変したと言はれてゐる。文体、文章などゝ言ふものは、十年の間にはいつ変るともなく変つて行くものださうだが、実際さうだと私は思つてゐる。で、私はその意味でも Huys Mans の文章を面白いと思つてゐる。
 Huys Mans の文章はゾラの系統をひいてゐる。それはその出立点が其処から出発したからである。此人も矢張ルーアンの大家の書斎にはよく出かけて行つた人だが、それよりも却つてゾラの感化を受けたといふやうなところが多い。洗煉したと言ふよりも、むしろ達者で、そして細かく入つて行くといふ趣がある。ゾラがモウパッサンよりもこの人の方が豪いなどゝ言つたのも無理はないと思ふ。
 Huys Mans の描法は内面にかなり深く入つてゐる。人間の心理を描く時に、会話のやうにクォテイシヨンをつかつて、そしていくらでも長く続けてゐる。紅葉の『多情多恨』の長い会話や長い独語などに似たやうなやり方をしてゐる。
 それに描き方が、ある人には煩瑣にすぎると思はれるやうな細かい描写をやつてゐる。一分間の独想を二頁も三頁も書いてゐるところがある。モウパツサンの気の利いた短かい巧みなあらはし方などゝは丸で違つてゐる。その代り文字の末に捉はれないやうな長所があつて、技巧でない生気が全篇に漲つてゐるといつて好い。



 ゾラが破産したナチュラリズムの境を頑固に守って[#「守って」はママ]、そして最後は憐れな浅薄なシンボリズムに堕ちて行つたのに比べると Huys Mans が中世紀の芸術といふところから神秘主義に入つて行つたのは、大変に面白いと思ふ。そして、それが幾らかフロオベルの歴史小説あたりから根を発してゐる様なのは一層面白い。然し、全体のトオンが最後までナチユラリズムの調子を帯びてはゐる。
 フロオベルは近代小説の祖だと言はれてゐる。こゝからあらゆる流れが流れ出してゐると言はれてゐる。ナチユラリズム、ミスチシズム、シンボリズム、皆そこから泉を発してゐる。かうある批評家は言つてゐる。Huys Mans も矢張そのシンボリカルなところを受継いでゐる。
 フロオベルのシンボリズムとゾラのナチユラリズムとを合せて、そしてその上にいくらか Flander の血を混ぜたやうなところが Huys Mans の芸術である。



 マアテルリンクのミスチシズムと Huys Mans のミスチシズムとを比べて見ると、そこに面白い対照がみとめられる。何処か似てゐるところがあつて、そして後者の方のが何処か手堅い真面目なところがある。マーテルリンクの芸術と芸術論とは、余程詩人らしい空想的なところが特徴だが Huys Mans のは、ある境をぐつと押詰めてそして得て来たといふところがある。前者は浅いがしかし多方面だ。後者は一本筋であるが…

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