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新しい生
あたらしいせい
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「文章世界 第十五巻第四号」1920(大正9)年4月1日
入力者tatsuki
校正者hitsuji
公開 / 更新2020-10-09 / 2020-09-28
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 吾々はある意味に於ては、即かなければならない。ある意味に於ては、離れなければならない。しかし、吾々は即くばかりで生きてをられるものではない。また離れるばかりで生きてをられるものではない。即くと同時に離れがあり、離と同時に即がある。これが即ち吾々である。あらゆる矛盾があり、あらゆる撞着のあるのが即ち吾々である。更に言葉を更へて言へば、大きい心ほど、自然に近い心ほど、さうしたあらゆる矛盾したものをその中に包含して更に不自然を感じないのである。ところが、これを一度抽象して思想にすると、いくら説明してもさうした細かい心の中には、どうしても入つて行けなくなる。従つて、傍観と言へば、本当に世の中を離れて了つたもののやうに言ひ、観察と言へば、自分一人を人間の中から離して来たやうに言つて了ふのである。傍観は決して単なる傍観であり得ないことを知り得ないのである。また傍観にも非常に度数があつて、そのある者に至つては、全く人生と相即いたと言つても差支ない位のものである。

 即きすぎたのがいけないやうに、離れすぎたのもいけないのである。であるから、実際の人生の渦中にあるものには、貪著を戒め、遁世の道にあるものには、欲に近づくことを勧めるといふのが、一番本当のことである。そして、この権衡は、常に平均を保つやうに――時には際立つた上下動があるにしても、それが全く顛倒しないやうによく平均を保つてゐるといふことが、最も必要であらうと思ふ。

 表面にあらはれたものの一歩奥を見ることの出来るものでなければ、とても、芸術を語ることは出来ない。否、芸術ばかりでない、人生をも知ることが出来ない。他をも知ることが出来ない。否、さういふものは、本当に自己の如何をさへ知つてゐないものだと言つて差支ない。

 この作のかげには、何がかくされてあるか。この作の表面には、かう書いてあるけれども、作者の本当の心持は何処にあるか。かういふ風に読者は考へて見なければならない。否、さう考へて見てすら、本当にその奥がわからないやうなのが芸術である。否、芸術ばかりでない、人生もさうではないか。吾々が生きて行く上にも、さうした深奥なものが常に吾々の一歩奥に横つてゐるではないか。そしてそれを、何等かの形で――細かい心理や気分で嗅いだり、触つたりしなければならないではないか。

 静かにその奥に。容易につかむことの出来ないその奥に――。これが、この奥に触れることが、何につけても、吾々に取つて一番大切なことである。であるから、一目見て何も彼もわかるといふ人達は、何も饒舌る必要はない。動ずる必要はない。多くは沈黙してゐるものである。寡黙のすぐれてゐるといふのは、このことを言ふのである。

 私はある人に言つた。『何が壊れ去つて了つても、何が移り変つて行つて了つても、変らないのは心です。心の問題です。何処まで行つても、これは容易…

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