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或新年の小説評
あるしんねんのしょうせつひょう
作品ID48815
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「文章世界 第十一巻第三号」1916(大正5)年3月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者hitsuji
公開 / 更新2020-01-07 / 2019-12-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         ○
 おくればせに新年と二月の小説を飛び/\に読んで見た。
 正宗君の『催眠薬を飲むまで』は、またいつもの同じ題材だと思ひ/\読んで行つたが、最後の二頁に行つて、がらりと引くりかへされた。流石だと思つた。かういふ風に少年の自殺を見た形も面白いと思つた。たゞし、最後の二三の句に、少し色の濃すぎた、主観の言葉の入りすぎたところがあつて、やゝ自然らしい感じを傷つけたやうな気がした。『田舎者』は、旨くは書いてあるが、警句も沢山にあるが、一方の相手がイヤに超然としてゐるために――詳しく言へば、平行を保つてゐないために、単なる写生以上に芸術品らしいところが出て来なかつた。『姉の夢』は本がないので読まなかつた。
 中村君の『人間の夜』にも矢張『田舎者』に見たやうな写生に堕したところがあつた。よくは書いてある。細い点にまで入つて行つて、観察、描写の上には非常な進境があるやうに思つたが、何うもかうした写生ばかりでは芸術として甚だ物足らない、もつと何かゞなければならないのではないかと思つた。
 有島生馬君の作品は、今まで読んだことがなかつた。今度の『暴君へ』が始めてゞある。私は才の漲つた、割合に観察の細かい、気分の明るい感じを其処から得た。それに表現の方法などにも新しいところがあつた。たゞし、書く上に於て、かういふ書き方は非常に楽なものである。ある処では活動写真でも見てるやうな気がした。
 高浜虚子氏の『落葉降る下にて』では、私は同じ年齢に共通したやうな共鳴を覚えた。よく書いてあると思つた。私などもかういふ風な心持を起したり感じを起したりすることはよくある。現に、私なども、かういふ点から人生を見るやうになつてゐる。しかし、この作は感想として、写生として面白いので、また意味があるので、芸術としては甚だ物足らないと思ふ。かういふ見方や心持が、他に入つて、他と自との交錯する上に完全に動いて行つて、それで出来たやうな作品を私は氏に期待したいと思つてゐる。
 森鴎外氏の『高瀬舟』は始めの方の気分が面白い。それに、物語としてのコツをよくつかまへてゐる。しかし、読んで了つたあとでは、あまりに内容があつけないので物足らなかつた。氏の歴史物は、現代の欠陥を昔話しにして見たやうなところに、一種の面白味があるが、その為め、却つて感じを小さくしたり、不自然にしたりするところがないだらうか。『最後の一句』といふ作などにもさういふ欠点があつたと私は覚えてゐる。
 上司小剣氏の作では、『雀の巣』と『巫女殺し』とを読んだ。『巫女殺し』はあつさりとしたものである。殺人を軽く見たところが作者の主意であるかも知れないけれど、唯、軽く見たゞけで、人間に対する理解がやゝ抽象的になりすぎてゐるやうな気がした。『雀の巣』は皮肉もあり、滑稽もあり、別に他の奇はないけれど、面白いと思つた。
 北村清六氏の『一…

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