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一少女
いちしょうじょ |
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作品ID | 48823 |
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著者 | 田山 花袋 Ⓦ / 田山 録弥 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 花袋全集 第二十二巻」 臨川書店 1995(平成7)年2月10日 |
初出 | 「令女界 第五巻第三号」1926(大正15)年3月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 津村田悟 |
公開 / 更新 | 2018-12-13 / 2018-11-24 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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一
私達が北満洲に行つた時の話ですが、あのセミヨノフ将軍の没落した後のロシアの避難民のさまは悲惨を極めたものだつたさうです。何でもハルビンも危険だといふので、手に手を取つて松花江の氷の上をわたつて、陸続として長春から吉林の方へ入つて来たのださうですが、それは惨めなものだつたさうです。私達は国境近いところから、何処の町に行つても大きな包を負つて跣足で歩いてゐるロシア人を多く見ました。かれ等の中には、支那の苦力に交つて労働してゐるものもあれば、杜の中に乞食でも住むやうなバラツクをつくつて、そこで日向ぼつこなどをしてゐる光景を私達はよく路傍で見かけました。それでもその時分はもう初夏に近い頃でした。何と言つても暖かい日影はあたりに漲つてゐました。野にはアカシヤの白い花が咲き、杜には緑の濃い絵具をまき散してゐました。蕨なども生えてゐました。従つてさういふ人達も、私達には決して悲惨とばかりは見えませんでした。自然の中に更に小さく展げられた絵か何ぞのやうにさへ見えたほどでした。
二
私達を乗せて吉林のあちこちを見物させて呉れた馬車の馭者をしてゐた男も、その避難民の一人で、何でもセミヨノフ将軍づきの騎兵大尉だつたといふことでしたと公署の役人の一人は言ひました。
『だから、先生、馬を取扱ふことは名人です……、何と言つてもコザツクの馬を平生取扱つてゐましたから……。さうです、先生達困つてゐるんです。公署で、食はせて十八円でつかつてゐるんですから……』
『十八円!』
私達はその金の額に由つても、いかにさういふロシア人達の困つてゐるかゞわかるやうな気がしました。吉林では私はことにさういふ多くの人を見ました。ツルゲネフの小説の中にでも出て来るやうな人達。髪を箒のやうにして、破れた帽子一つ被らずに、ぼろ/\になつた服を着て歩いてゐる背の高い人達。大きな包を負つてやつと歩けるくらゐな子供を伴れてゐる女達。ハルビンでは、いくら避難民でもまだ身装を崩さないものをも沢山見かけたのに、此処では、さういふ人達は捜しても見つからないほどでした。
『あれで、あゝいふ人達も、皆な身分のあるやうな人なんですから……』
一緒に長春からやつて来たIさんは言ひました。
『内部をきいて見ると、随分惨めださうです。それに、支那人が狡いですから、かなりひどい眼に逢つてゐるらしいです。ロシア避難民救護本部などと言つて、表面だけは非常に世話をしてゐるやうに見せかけてゐますけれども、支那人は随分ひどいことをしてゐるさうですから……』
『さうでせうな』
Iさんも心から同情するやうに言つた。
『何しろ、去年の冬は、惨憺たるものでした。スンガリイの氷の上を隊を成してわたつて歩いて来たんですから……』
『あなたはその時ゐましたか?』
『いや、私は春になつてから此方へ来たんですけれども、公署でも見たものが沢山あります…