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田舎からの手紙
いなかからのてがみ
作品ID48825
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十二巻」 臨川書店
1995(平成7)年2月10日
初出「新小説 第二十三年第二号」1918(大正7)年2月1日
入力者tatsuki
校正者津村田悟
公開 / 更新2019-08-09 / 2019-07-30
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 なつかしきK先生、
 ゴオと吹きおろす凩の音に、又もや何等の幸福も訪れずに、夕暮がさびしくやつてまゐりました。遠くには、高社山の白皚々とした頭を雲の上にあらはし、はかなく栄える夕日を浴びて、永遠に黙つて悲惨な色を出して輝いてをります。飛び行く烏はカアの一声を残して、小牛の寝ころんだやうな形をした三峰の山のかげへとその姿をかくして了ひました。――うら悲しい思ひと、夕の冷気に襲はれて、思はず身ぶるひを致しました時、白く枯れた萱の葉の音が一しきりさびしく響き渡りました。アヽ、今は冬は真盛です。K先生、私はつい此間ひよつとして、先生の書かれた『重右衛門の最後』と『秋晴』の二篇を手に入れて、しみじみと味ひました。今更先生のことが頻りに考へられて来ます。重右衛門や、武井米三さん。あゝ重右衛門がやたら無性に『マツチ一本お見舞ひ申しませうかな』と言つて人を嚇かし、米や金を取つては生活を立てゝゐた、それにはいかなる警察も舌を巻き、村の人は村の人できよときよとして唯恐怖に戦えてゐた。月影うら哀しい夜、人々の怒りはつひに栄輔さんの蓮池に重右衛門の死体を物凄く浮ばせた。自然の子重右衛門! その村に居りながら、先生の筆によつて始めてその真相を知つたやうなわけで、誠にお恥しい次第であります。
先生の御存じの米三さんは、私の親父なども親しく教へを受けた方で、一時は随分人望の高い人で御座いました。しかし浮世の小夜嵐の習ひ、遂に不帰の客となられ、一家の悲痛まことに人を泣かせずには置きませんでした。しかし、年の経つた今では、令息清蔵君が私と一緒に、村の小学校で夜学などに精を出され、米三さんのお父さんは至極丈夫で、グチヤ/\した目をしながらも、一生懸命に農事に精励されてをります。又米三さんのお上さんもお達者で、元のやうに男さわぎもなされずに、専心清蔵さんの養育に心を尽してをられまして、今では割合に豊かな生活をしてをられます。
なつかしきK先生、
生れつき文を綴ることの下手な私は、とても先生に御覧になれるやうな文章は書けないのであります。何うかお汲みとり下さいませ。虎之助さん、『秋晴』の主人公の虎之助さん、髪ふり乱し、飯も食はず、末期の水も飲まずに逝かれた狂人虎之助さん、それは先生も御存じですが、年ふりて大正の今日此頃では、長男の秀雄君が矢張同じく清蔵君や私達と一緒に夜学にやつて来まして、その持つてゐる算盤の裏のずつと下にさがつた処には、小さく長野興業館持主渡辺虎之助と書いてあるのを見まして、益々『秋晴』といふ小説が面白く感じられました。何といふ慕はしい記念では御座いませんか。虎之助さんが黒の紋附羽織に頭髪黒々と気取られた時分のことが何となく眼に見えるやうな気が致して為方がありません。それが今、墓、塔婆、村の寺は寂然として声もないといふことを考へると、暗涙に咽ばずには居られないやうな心地が…

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