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大阪で
おおさかで
作品ID48831
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「文章世界 第十五巻第七号」1917(大正6)年7月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者hitsuji
公開 / 更新2021-03-09 / 2021-02-26
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 汽車で、東京の近郊に行く。麦の黄熟したさま、里川のたぷたぷと新芽をたゝえて流れてゐるさま、杜の上に晴れやかに簇がり立つた雲のさま、すべて心を惹かないものはない。『麦ははや刈り取るべくもなれる野にをりをり白し夏蕎麦の花』歌は平凡だが実景である。
 香川景樹の歌に、『夜半の風麦の穂立におとづれて蛍とぶべく野はなりにけり』といふのがあるが、いつでも今頃になると思ひ出されて来る。夜半の風と初句に切つて、麦の穂立におとづれてとつゞけた形が何とも言はれない芸術的な感じを私に誘つた。

 曾て、関ヶ原を通つた時、『新しき若木若葉に日影さし埋れ果てたるいにしへのあと』と口吟んだが、此間通つた時にもさうした感が再び繰返された。何うしてか、此頃は跡といふことが頻りに私の心を惹くやうになつた。

 京都から大阪に行く間の野には、けしの花の白いのが、麦畠や水田のところどころに際立つて見えてゐた。いかにも印象的で好かつた。

 大阪の江戸堀の旅舎では、秋声君に京都から来た近松秋江君と三人して、床を並べて敷いて遅くまで話した。『こんなことはめづらしいね。それが、温泉場とか海水浴場とかなら、かういふこともあるかも知れないけれども、かうした都会の旅舎だけに、一層めづらしいやうな気がするね』秋江君はこんなことを言つた。

 昼間見ては汚ない堀割にも、夜は灯が美しく映つて、成ほど昔から水の都と言はれただけあると思つた。

 大阪時事の船越君が来た。話の次手に、熊谷直好翁の墓のことを私は持ち出した。『あ、さうですか。よう御座んす。わけはありません。調べて見ませう。……そして、わかつたら、明日の朝、お伴しませう』
 かう言つて、船越君は、親切に、直好翁の墓を調べて呉れた。
 なつかしい『浦のしほ貝』の作者! 私は、何方かと言ふと、景樹翁の『桂園一枝』よりもこの『浦のしほ貝』の方に、より多く共鳴したのであつた。私は旅に行く時には、いつもその横綴の小さな拾遺の方を持つて行つた。不思議にも、『浦のしほ貝』はぴたりと私の心にも気分にも合つた。『おそくとく皆なわがやどにきこゆなりところ/\の人相の鐘』『とふ人もなきわがやどの柴の戸は風ぞひらきて風ぞ閉ぢける』『里の子か沢にしぎわな張りしより心はかゝり夜こそねられね』かうした歌がそれからそれへと思ひ出された。船越君はいろいろなことを調べて来て呉れた。墓が山小橋の西念寺にあるといふこと、その寺が昔の富豪平野屋五兵衛の創建であるといふこと、直好翁はその平野屋の番頭であつたといふこと、平生主家に忠実であつたがために、死んでから、平野屋の一族に準じて、その西念寺に葬つたのであるといふこと、さうしたことをいろいろと話してきかせて呉れた。曾て見た翁の肖像が、いかにも堅い商人らしい風をしてゐたことなどが、それとなく私の心に蘇つて来た。

 高津宮の址には、大きな石碑が立つ…

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