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娟々細々
けんけんさいさい
作品ID48859
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「文章世界 第十三巻第十一号」1918(大正7)年11月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者hitsuji
公開 / 更新2021-09-26 / 2021-08-28
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

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 皮肉に物を見るといふことは、その人の聡明を示してはゐるけれども、しかもその聡明に捉へられて自分一人を好いと思ひあがつたやうな処があつて厭だ。
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 観察とか解剖とか言ふことは、得てさうした皮肉を生み勝ちである。唯、じつとして見てゐたゞけでも、それだけでも、人に皮肉な感じを与へる。
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 皮肉ばかり言つてゐられる人は、存外暢気な性質かも知れない。でなければ、分裂ばかりあつて統一のない人かも知らない。中には自分が非常に辛くつてそれが激発して皮肉の語を成すものがあるが、それはもう単なる皮肉ではなくなつてゐる。
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 人間はこんなに醜悪なものだと言つて、その縮写図を示して貰つたツて、人間が別に善くも悪くもなる訳ではない。何処まで行つても人間は人間である。芸術は芸術である。人間も芸術も、単なる写生だけでは何うにもならないものである。

 写生の多きことよ、悪写生、醜写生、平写生。画家が写生から入つて行き、詩人が観察から入つて行くことは、初学者は好いかも知れないが、一生をこの写生に没頭して倦まざるものは、笑ふべく憫むべき小作家なる哉。
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 梧桐の葉が余り繁りすぎたので、植木屋を呼んで少しばかり伐らせた。その時の詩に、『幾樹梧桐遶草茨、重々如傘暗書惟、還嫌風雨攪幽夢、剪取窓前一二枝』
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 作家が苦しんでゐるほどすぐれた作が出来ると思つた時代があつた。またそのために作者は苦しまなければならないと思つた時代があつた。つゞいてデカダンや、無節操や、小反抗や、似非不道徳をわざとやつて歩いた時代があつた。そしてそこから芸術の新しい花が開くと思つた。愚かであつたことよ。
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 真面目なことを茶にして笑つて了ふやうな態度も厭だけれども、つまらない小さなことを上段から振翳して、大真面目でゐるのも馬鹿々々しい。
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 阿難の執着を破するために、心も亦虚妄と言つた世尊の言葉は味ふべき言葉である。唯心縁起――華厳経などはそこから出立して居りながら、その心も亦虚妄と言つて了つたところにも深い意味がある。
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 武州羽生町建福寺に昔からある大きな筆で、横額を三枚ほど書いた。一つは『雪山毒卓』一つは『決定信』もう一つは『浮碧楼』雪山毒草は殊に気に入つた。今までこれほど旨い字を書いたことはないとすら思つた。大正七年十月一日のことである。
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 建福寺の主僧も、書は決して拙い方ではなかつた。しかし、その見るべきものは、多くは紙乃至絹に於てせずして、塔婆に於いてする。平生慣るゝところ、自づからその妙境に至つたのであらう。私は滞在中、墓場に行つて、その塔婆を見るのを楽みとした。墓場には銀杏がやゝ落葉して、木犀の匂ひが私に…

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