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百日紅
さるすべり
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十二巻」 臨川書店
1995(平成7)年2月10日
初出「太陽 第十八巻第十四号」1912(大正元)年10月1日
入力者tatsuki
校正者津村田悟
公開 / 更新2019-05-13 / 2019-04-26
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 山の半腹を縫つた細い路を私は歩いて居た。日は照つて居た。下には、石材を三里先の山の中から運んで来るトロコのレールが長く続いてゐて、其向ふには、松の綺麗に生えた山が重り合つてゐた。
 時々石を載せたトロコが、下りになつた路を凄じい音を立てゝ通つて行つた。……人足が両手を挙げたりなどした。
 私は一緒に歩いてゐる丈の低い友に話し懸けた。
『何うだね? 君にはさういふ経験はないかね。』
『ないね。』
 かう言つて、友は笑つた。『いよ/\出ましたね?』と言つたやうな軽い笑ひ方であつた。で、その笑ひ方が不思議にも私を沈黙させて了つた。私は長い間黙つて歩いた。ふと大きな釣鐘が頭に浮んだ。それはもう少し前に寺の本堂の前で見た釣鐘であつた。続いて其鐘を鋳た時の光景が眼の前にちらついて来た。大きな普請小屋……銅を煮る大きな釜……活々と燃えた火……熱心に人夫を指揮してゐる、年を取つた鋳物師――
『私は、これで、もう四十年も鐘を鋳て居りますが、本当に旨く行つたことはまだ一度も御座いません。何うか、せめて一度は立派に後に残るやうなものをと思ひますけれど、覚束ないもんです』こんなことをその鋳物師は言つてゐた。その皺の多い真面目な顔には火が赤く反射した……。
『もう、この鐘は五百年になりますよ。』
『さうですかね、そんなになりますかね。』
『ほら、こゝに、かう書いてある。○○何年何月何日何国住人……はゝア、そんな処の人が鋳だんですかね。……その時にも、そんな人が居て、かうした釣鐘を鋳たんですかね。』
 かう言つて、其人達は撞木を握つて、鐘を撞いた。鐘は震へるやうな響をあたりに漲らせた。
 静かな自然の中に、その鐘の声は一つ一つ消えて行つた。あとは静かに、静かに……。
『作つたものゝ努力の跡は、かう久しい年月を経ても、依然として残つてゐるから貴いですな。』
『何うも日本人にはセンチメンタリズムが多いね。』
『本当だ。』
 一人がかう言ふと、
『本当にさうですね。』
 と他の一人が合せた。
 その二人は自分達二人のやうであつた。私は私の傍に居る丈の低い友と鐘を撞いて出て来たのではないかとさへ思つた。
 日はキラキラとトロコのレールの上を照してゐた。……寝てゐる子をつついたやうにして負つて、一人の子守が跣足でスタスタ、レールの上を歩いて行つた。
 萩の花が咲いてゐる、蝶が飛んでゐる、黒い地に黄の模様のある綺麗な蝶が……。
 私達は汽車に乗つて、鉄橋を渡つて、松原を通つて、山の上にヒラヒラ靡く朝の白い雲を見て、旗振りの爺を見て、それから此処等でよく見るやうな小さな停車場で下りて、庇の長く出てゐる田舎町を通つて、蒲焼をトントン音させて焼いてゐる路の角から曲つて、茅葺屋根の町役場の前を通つて、そして田圃の中をぬけて此所まで遣つて来た。何の為めに? 何を目的に?



『暑いね、君。丸で日…

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