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雑事
ざつじ
作品ID48875
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十三巻」 臨川書店
1995(平成7)年3月10日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者津村田悟
公開 / 更新2021-07-14 / 2021-06-28
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

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 大衆文芸でも、通俗小説でも、作者が熱を感じて書いてゐるものなら、まだ救はれることもあらうが、さういふものがはやるからとか、金になるからとか言つて書いてゐるのでは、とても駄目であらう。
 それはどんな中からでも、すぐれた才能を持つものは、その自己を光らせることが出来るとはいへよう。沙翁だツて、西鶴だツて、黙阿弥だツて、皆さうである。時代の空気もそれを誘つたには相違ないが、その根本は作者にある。これはその通りだ。しかし少くとも作者にはあれが真剣であつたのである。自分のやるべきことを十分にやつたのである。熱があつたのである。はやるからとか、金になるからとかいふことばかりで好い加減に書いたのではない。そこを考へて見なければならない。

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 今のやうに、低級な雑誌が売れ、通俗ものが売れ、新聞でもそれを歓迎してゐるのでは、まじめに書くものは、次第にわきに寄せられる形になる。書を著して名山に蔵しなければならなくなる。世間に追随したものに言はせれば、それはお前が年を取つたのだ、時代おくれになつたのだといふかも知れないが、それでも構はない。守るべきものは守らなければならない。自分の好いと思つたことは飽までもやらなければならない。曾てさういふことをある合評会で言つて、文壇の人達に仙人だと言はれたが、仙人結構だと私はいふ。

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 去年から今年にかけて、これはといふものはなかつた。中堅がことに振はなかつた。どうしたのだらうか。早くも種切れになつたのだらうか。つまらなく新聞の通俗ものなどを書いてゐるからではないか。本格小説を書くならもつと本当にまじめになつて書け。作者の頭に碌々その人物も光景も映つてゐないのに、その日暮しで書いたつて何の役に立つ。反古ばかりをつくつたことをあとで悔いたとて及ばない。

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 谷崎君、里見君のものも二三読んで見たが、ピチピチしてゐて面白いとは思ふが、作者の心の境はさう深く人生に入つてゐるとはいへない。正宗君のものは『人を殺したが』を読んだが、昔書いた『地獄』を思はせるやうなところがあつて捨難いが、やゝ実感に乏しい。誰にもうなづかせるだけの本当らしさがその中に活躍してゐなければ本当であるまいと私は思つてゐる。それにあれには斧鑿のあとがあまりに見えすいてゐる。しかし氏などは今年は働いた方であらう。佐藤君の『この三つのもの』はまだ何かいふには早いが、あまりにあたりに気がねをしすぎてゐはしないか。秋声君の短篇は評判は好かつたやうだが、いつも同じやうなもので、やゝ飽足らなかつた。

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 英雄崇拝、凡人崇拝などゝいふ題目が、ある新聞につゞいて出てゐる。別に深く読んで見たわけでもないが、そんなことはどうでも好いやうな気がする。英雄とか凡人とか名をつけて議論す…

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