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真剣の強味
しんけんのつよみ
作品ID48894
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「太陽 第二十四巻第八号」1918(大正7)年6月15日
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2018-11-27 / 2018-10-24
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今度の大戦の印象の多い中で、私は一番真剣とか一心とか言ふものゝ力の強いことを味はつた。ドイツの強味は、真剣の強味であり、一心の強味である。あらゆるものを捨てあらゆるものを犠牲にした最後に起つて来た強味である。従つてこれに対して、人道的の非難を加へたとて、それは加へる方が間違つてゐる。行くところまで行かなければならない。やるところまでやらなければならない。いかなることを犠牲にしても……。
 人道的非難に対して、ドイツが顧慮の念を少しでも生じたならば、それは既にその内部の力の衰へたことを暗々裡に意味してゐる形になる。

 ドイツの態度の中ぶらりんでないのが好い。いかにも張り詰めてゐる。決して左顧右眄しない。独逸文学にあらはれた暗さが、また力強さが、軽い文化に捉へられないやうな魂の辛さが、今度の大戦にも名残なくあらはれてゐる。流石はゲエテを有し、シルレルを有し、レツシンクを有し、ヘツベルを有し、ハウプトマンを有した国民だと思はせるやうなところがある。

 ロシアのレニン達のやつたことも、意味のあることではあるが、いかにもロシアらしくつて面白いが、とてもあゝしたことで、ドイツの社会党の心の横断などは出来さうにも思はれない。ドイツはもつと深い。そしてもつと堅実である。もつと第一義的国民性を確とつかんでゐる。昔、深林の中から生れた暗い強い気分が、今日でも歴然として残つてゐるのを私は見る。
 ロシアの文学を見てもわかる。ロシアにはだゝつ子が多い。トルストイもその一人である。ドストイフスキイもある意味に於いて矢張その一人である。ゴルキイもさうである。チヱホフも消極的ではあるが、矢張さうである。ロシア文学の中には、原始的の魂の閃耀はあるが、意と智と情との完成を認めらるべきものはない。魂の自由はあるが、魂の緊張はない。また魂の奮躍はあるが、魂の本当の圧迫がない。意と智と情との完成を経て来ない原始的の魂が、意と智と情とを完成した魂のために粉韲せられるのは止むを得ないことだ。

 フランスはそれから比べると、余程古びてゐる。衰へてゐる。デジエネレートしてゐる。ヰクトル・ユウゴオあたりの大きな魂がその国の思潮を支配すれば好いのであるが、何うも積極的方面が十分でないのを私は思はずにゐられない。若い時代が伝統主義を鼓吹しやうとしてゐるのは、実はかういふ方面に於て、非常に大きな欠陥を認めたからである。ナチユラリズム、デカダン、さうしたものゝ害が人間に尠くないのを認めたからである。フランス文学に於ては、人間の魂がいつも芸術のために玩弄視され、材料視され、甚しいのに至つては滑稽視されて来た。つまり芸術が人間を圧した。これが即ちフランスのデジエネレートした形であつて、芸術もその為めに、末期の芸術といふやうな形を帯びた。
 更に言ひ換れば、ロシアとは正反対の形にあるのである。ロシアを小児に譬へる…

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