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心理の縦断
しんりのじゅうだん
作品ID48897
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「文章世界 第十四巻第一号」博文館、1919(大正8)年1月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者hitsuji
公開 / 更新2021-10-17 / 2021-09-27
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

戻つて来た

 矢張心理の縦断が行はれてゐるのだから面白い。ロシアの革命思想は元はドイツが本家であつて、それをレニンやトロツキイが持つて行つてやつたのであつたが、それが的確にドイツに戻つて来たのである。

理解

 民本主義は各自の覚醒から来たものでなければ本当ではない。現今の世界の傾向は面白いけれど、その覚醒が果して何の位まで本当であるかゞちよつと解らない。思想の傾向だけにつれて単に狂奔してゐるやうな処が大分見えるやうだが、それでは矢張単に多数政治になつて了ふ恐れがある。心からの覚醒、心からの理解が欲しい。

完全な合一

 自己を打立てるといふことは、自己を完全に空間に浮べることである。あらゆる他を包容した自然を生命の潮流の中に浮ばせることである。主観、客観の完全なる合一を表現することである。金剛不壊なる中心をつかむことである。

敗ても何でも……

 長いものには巻かれろではあるが、また止むを得ず巻かれるのではあるが、しかし自己も完全な自然である以上、他を包容した小宇宙である以上、言ふべきことは言ひ、主張すべきことは主張すべきである。その容れられると容れられないとを問はず、また勝つと敗けるとを問はず、成功すると成功せざるとを問はず……。何故なら、完全なる自然で自己がある以上、それはいつか心理の縦断となつてあらはれて来るからである。曾つて敗けたと思つたことが却つて勝つた形にひとり手になつて来るからである。

ある問答

 ある人が私に訊いた。
『お前は何故そのやうに拙いのに書を書くのか。字はまだなつてゐないぢやないか。崩し方なども一つもわかつてゐないぢやないか……。よくきまりがわるくないな』
 私は答へた。
『きまりなんかひとつもわるくない。またその巧い拙いを問はない。何故なら、これでも一箇の存在であるからである。好いも悪いも、巧いも拙いも皆そこにあるからである。私があるからである。他であり得ない私があるからである。拙いと思つたものは捨てるが好い。つまらないと思つたものは顧みないが好い。私の存在はそんなことには頓着してゐない』
 その人は又言つた。
『しかし、世間には巧いものと拙いものとがある。そして巧いものは拙いものよりも好い。拙いものは巧いものよりも価値がない。その標準をそれでは何うするか?』
 私は答へた。
『その価値の標準は世間の標準だ。世をかねてゐるものの標準だ。根本には拙い巧いといふことはない筈だ。拙いものも決して拙いばかりではない。巧いものは決して巧いものばかりではない。存在の価値はさうした世間乃至時代の標準などで何うにでもなるものではないと私は思ふ』
 またその人は言つた。
『では、さういふ標準がないなら、何処から、努力、勉励、向上などといふ形を持つて来るのか』
 私は答へた。
『それは自己から、自己の存在から……。それは決して世間の相場…

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