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地震の時
じしんのとき |
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作品ID | 48899 |
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著者 | 田山 花袋 Ⓦ / 田山 録弥 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 花袋全集 第二十三巻」 臨川書店 1995(平成7)年3月10日 |
初出 | 「週刊朝日 十月増刊」1923(大正12)年10月10日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 津村田悟 |
公開 / 更新 | 2021-09-01 / 2021-08-28 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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すさまじい光景だ。人が行く。荷馬車が行く。乗合自動車が行く。鈴生になつてゐる電車が行く。路も歪んでゐる。樹も曲つてゐる。空も三角になつて見える。何うしても立体派の絵画といふ気がした。私は草鞋穿きに脚絆といふ姿で二食の結飯を脊負つて、焼跡をそつちから此方へと歩いた。
自然の力は大きい。人間の拵へたものなどは何でもない。一応は誰でもさういふ気がするだらう? しかし夫は今の場合余りに抽象に過ぎる。さうは言ひたくない。それよりはむしろ、目を[#挿絵]つて、この自然と人間とのいまはしい交錯をじつと見詰めてゐたい。何うしてかういふいたましい光景があるかを見詰めてゐたい。
私はこの二三年、廃墟といふことを非常に考へた。人間の滅びて行くさま、栄華の破壊されて行くさま、人の心の空虚に帰して行くさま、さういふことに絶えず眼を[#挿絵]つた。そしてその荒凉とした廃墟の中から再び新しい芽が出て行くさまを想像した。今、それが私の眼の前にある。夢でも空想でもなしに私の眼の前にある。この焼跡の中から萠え出して来る新しい芽を想像しながら私は灰燼の中を歩いた。
一番悲惨だと思つたのは、無論、被服廠の焼跡だが、大川の岸は概して凄じい光景を呈してゐた。さういふ人達に取つては、その川は実に生死の境であつたのである。その川が一筋白く横はつてゐるために、何うすることも出来なかつたのである。私は到るところに船が焼けてその上に二三人の避難者の黒焦げになつて焼死してゐるのを眼にした。
五日目に私は厩橋をわたつた。
両国橋だけは落ちずに自動車でも何でも通るやうになつてゐたのであつたさうだけれども、私は本郷の方から行つたので、真直にそつちへと向つた。それにしても、何といふ凄じい光景だつたらう。何処を見渡しても焼野原で吹さらしの風が灰燼を飛ばして、眼も碌に明けては通れないといふありさまだつた。否、電線や電車の線は縦横に街上に焼け落ちてゐるので、注意しないと、すぐそれに引懸りさうになつた。楽山堂病院の角あたりからは、浅草の観音堂の焼残つたのがそれと指さゝれて見えた。
『厩橋は渡れるかしら?』それまでにも私は何遍となく訊いて見たが、誰もその真相を知つてゐるものはなかつた。巡査ですら、『何うなつてゐますかな……状況がひとつもわかりませんから……』などと言つた。ついその橋の側まで行つて見なければ、その本当のことはわからなかつた。
忽ち私は群集の一列に並んでゐるのを、混雑した停車場などでをり/\見懸けると同じやうな状態で並んでゐるのを眼にした。橋は一人づゝしか通れないのであつた。見ると、向うから来るのと、此方から行くのとが遠く連つてゐるのがそれとはつきり指さゝれた。橋の袂には銃剣をつけた兵士が立つてゐた。
向うからやつと渡つて来たものが、『まア、好かつた……丸で命懸けだ……』こんなことを言つてゐるので…