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樹木と空飛ぶ鳥
じゅもくとそらとぶとり
作品ID48902
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「新潮 第四十二巻第三号」1925(大正14)年3月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者hitsuji
公開 / 更新2022-05-13 / 2022-04-27
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この頃の庭は落葉で埋れて見る影もない。いかにも冬ざれといふ感じである。それに山の手は霜柱が深く立つて、塵埃が散ばつても、紙屑が風に吹き寄せられても、それを掃くことも出来ない。樹木もすべて死んだやうで、寒気の強い朝などには、厚ぼつたい常磐木の葉ですらわるく萎んだやうになつてゐる。熱帯地方にその故郷を持つた八つ手のやうな植物がことに目に立つてやつれきつてゐるのも無理はない。
 庭の掃除が出来るやうになるのは、毎年四月上旬から中旬にかけてであるが、早くその時がやつて来れば好いと思ふ。此頃では、たまさかに木戸を明けて庭に入つて見ても、何も心を惹くやうなものもない。野椿の紅いやつもまだ咲き出してはゐないし、花の中で割合に早い木瓜などの蕾も固い。沈丁花はそれでもいくらかふくらみかけてゐるけれども、それがあの高いかをりを放つまでにはまだひまがあるだらう。青木のつら/\した緑葉に赤い実の生つてゐるのがせめてもの庭の色彩といふべきであらう。

 何といつても此頃は梅だ。私の庭にも梅の老木はかなりにある。角筈の銀世界のやつをそのまゝ移して持つて来たものもある。しかし大抵実を目的にしてゐるので、花が遅い。三月の中頃にならなければ満開といふわけには行かない。唯、一本、門内にあるのが早いが、それもかなりに古い梅であつたが、矢張近所の工場の煤煙にたゝられて、今は半ば枯死しようとしながら片枝ばかり花を着けてゐる。いかにもあはれである。一体、東京の近郊には、野梅がかなりに多く、何処に行つても、垣根に添うたり、川に臨んだり、丘に凭つたりして、一二本、または五六本咲いてゐたりしてゐたものだが、今では工場や汽車の煤煙にたゝられて、さうした風情も多くは見られなくなつた。惜しいことだ。

 梅の花は碧い空に透して見た形が何とも言はれない。全く星である。空に貼された星である。私の家にあるやつは、銀世界の古物で、もう余程わるくなつてはゐるけれども、それでも苔蘚などはかなりに多く、剣戟のやうな枝に一面に花をつけて碧空に聳えてゐる形はちよつと奇観である。ひまがあつたら来て見給へ。お茶ぐらゐはさし出しても好い。
 そしてこの梅は庭の外囲ひの方に五六本あるが、今でもかなりに実が生つて、毎年自分の家で漬けるくらゐは採れることになつてゐる。曾つては七斗も生つて、持余して八百屋に売つたこともある。
 梅の花が過ぎると、私の庭も次第に花で彩られて行く。前に言つた沈丁花、木瓜、椿、この椿の中にもいろいろなやつがある。絞りもあれば咲きわけもある。真白なのもある。野椿の紅いのもある。そしてこの花の寿命はわり合に長い。二月ぐらゐは咲いては落ち、咲いては落ちしてゐる。たゞ、わかれ霜に逢つて花片がわるく黄いろく焼けるのはあまり好いものではなかつた。
 山吹の咲く頃になると、庭は花で満たされると言つて好い。それに、その時分には草木…

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