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![]() じんらい |
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作品ID | 48904 |
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著者 | 田山 花袋 Ⓦ / 田山 録弥 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店 1995(平成7)年4月10日 |
初出 | 「電気と文芸 第二巻第六号」電気文芸社、1921(大正10)年6月1日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | hitsuji |
公開 / 更新 | 2021-12-20 / 2021-11-27 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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およそ雷で一番恐ろしいのは、山の上で逢つたことだ。私は日光の山奥でさういふ経験を甞めたことがあつた。雨は車軸を覆すばかりに降る。風は凄じく下から巻きあげる。それに、電光が交叉して、そこでも此処でも雷が轟く。何とも言はれない恐ろしさだつた。
日本アルプスの登山者なども、何うかすると、さういふ目に逢ふといふことであつた。さういふ時に注意しなければならないことは、身の周囲に金属をつけておいてはならないことで、蝙蝠傘や、眼鏡や、懐中に持つてゐる金に感電して、命を失つたものも決して尠くないといふことであつた。
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幼稚な頃にも、雷の恐ろしかつた経験が一度あつた。
何でも五歳か六歳位であつたらうか、母親の膝に抱かれて、じつと雨戸の隙間から光つて来る電光を見てゐたことを覚えてゐる……。その音も恐ろしかつたに相違ないが、それよりも、電光の間断なしに光つたさまは、今でもはつきりと思ひ浮べることが出来た。矢張、眼で見たものゝ方が長く印象されて残つてゐると見える。ザツと降頻る雨、間断なしにピカ/\光る電光、その中ををり/\劈くやうに轟いて通つて行く雷!
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死んだ川上眉山は、不思議に雷の好きな人だつた。雷が鳴り出すと、家に落ちついてゐられずに、よく雨を衝いて出かけた。それと反対に、生田葵山氏はまた雷が大嫌ひで、それが少しでもきこえ出すと、顔が青くなつた。新宿停車場で、一度ひどい雷に逢つて、一時気絶したことがあつた。
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私の生れた平野は、雷の多いところであつた。それと言ふのも、五六里を隔てゝ山が取巻いてゐたからであらう。ある日は赤城から来た。またある日は日光から来た。秩父の方から来るのは富士から来ると言つた。この中で一番烈しい性質を持つてゐたのは、日光から来る奴で、そつちの方に黒雲が出て、遠くで轟く音でもすると、人々は皆々警戒して、大きくならなければ好いがなア……と思つた。
しかしその烈しさは痛快でないこともなかつた。黒雲の中に幾条となく電光のきらめきわたつて見えるさまや、時の間にその電光雷声が広い野に漲つて来るさまは、今でも私にある爽快な感じを誘つた。それは同じ関東平野でも、東京などでは見たくても見られないやうなものであつた。
従つて雷の被害は、かなりに多いらしかつた。豪雨の中に落雷に逢つて、一家全滅したのを、晴れた後わざ/\見に行つたことなども覚えてゐるが、それは悲惨なものであつた。城址の土手の上の大きな杉の木の斜に裂けて白く見えてゐるのなども、今だに私の眼の前にあるやうな気がした。
『今日の雷さまは日光だから、油断がならない』
かう言つて、祖父はいつも線香を立てゝ跪座してゐた。
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私の生れた町から一里半ほど隔つて、板倉といふところに、雷電を祀つた祠があつた。私…