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水源を思ふ
すいげんをおもう
作品ID48905
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「読売新聞 第一七〇四〇号」1924(大正13)年8月25日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者hitsuji
公開 / 更新2022-09-19 / 2022-08-27
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 水源といふものを私は若い頃から好きで、わざわざそれを探険しないまでにも、よくそれに沿つて溯つて行くことが好きだつたが、今から百二三十年前に、江戸に橘樹園といふ人があつて、多摩川の上流に興味を持ち、何遍となくそれに溯つて、遂にはその水源までも窮めたといふ旅行記のあつたことを今でもをりをり私は思ひ出した。実際、大きな河が溯るにつれて次第に細く、時には深い渓谷を穿ち、時には瀬となり、時には淵となつて、遂に小さなせゝらぎになつて了ふのを見ると、私は何とも言はれない心持を感じた。私はすぐれた芸術家の故郷にでも行つて見たやうな気がした。
 私は一番初め利根川の上流に心を惹かれた。私は「太陽」の第一号に出た六号活字の『利根川水源探検紀行』を読んだ時には、何をやめてもすぐ出かけて行きたいほどの憧憬を感じた。第一、文珠菩薩の形をしてゐる岩石の乳のところからその水源が絞り出されて落ちて来てゐるといふのがロマンチツクではないか。またその小さやかな水が瀬となり瀑となり淵となつて、次第に大きくなつて、帆を浮べたり外輪の小蒸汽を浮べたりしてゐるといふことが面白いではないか。私は文珠岩には行つて見なかつたけれども、それに動かされて、鬼怒川を溯つた時には、その水源を栗山の奥深く探つて、遂に鬼怒沼まで入つて行つたことを今でも思ひ起した。
 否、そればかりではなかつた。私はよく渓谷を溯つて行つた。箒川の谷もかなりに上流まで行つた。大谷の谷もあの深潭から華厳の瀑壺まで行つた。吾妻川の谷にも深く入つて行つた。しかし、本当に水源を窮めたといふことになると、私もさう大して誇ることの出来るといふほどではなかつた。
 水はさらさらと岩石から沢に落ちる。草も木もしとどに濡れてゐる。ところどころに瀬をつくつたり小さな瀑をかけたりしてゐる。次第に谷は屈曲する。そしてその度毎に川は大きくなつて行く。一枚岩の上を清く浅い日影を砕いて流れて行つてゐる。岸の桔梗の枝が折れて、その紫の一輪がせゝらぎに触れて流されかけてゐる。私は水源を思ふと、いつもさうした光景を頭に浮べた。

 峠をのぼつて行くと、いつもその七分通り来たあたりで、長い間沿つて来た谷川とわかれて行つた。(あゝもうお別れだな?)かう思つて私はその流れて来る方の深い谷を覗いて見たが、その時はいつも何とも言はれない物さびしさを感じた。いくらか女に別れて行く感じにも似てゐた。私は川のさびしさを、誰も添つて歩いてゐるもののないさびしさを思ひやらずにはゐられなかつた。幾重に折れ曲つて、深く深く入つて行つてゐる川の心細さを。
 私は何遍も何遍も振返つた。思ひきりわるく振返つた。水の音はまだきこえてゐはしないか。嗚咽して別れを惜んでゐはしないか。
 私は深く穿たれた谷を覗いた。峠の上に来てまでも私は猶ほ耳を欹てた。

 それはさう大きな川ではなかつたけれども、磐城山地を…

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