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早春
そうしゅん
作品ID48908
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「読売新聞 第一七二一四号」1925(大正14)年2月16日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者hitsuji
公開 / 更新2022-02-28 / 2022-01-28
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         △
 風邪を惹いた床の中で『蜻蛉日記』を読む。学生時代にもよくひつくり返したものだが、今になつて読むと、いろいろなことがはつきりとわかつて面白い。何の事はない、それはその時分の心境小説だ。やれ源氏、やれ枕の草紙と言つて、普通はそれ以外に何もないやうに言つてゐるが、かういふ心境小説が、しかも時の大臣の思ひものの書いた心境小説が残つてゐるとはいかにしても不思議だ。私はそこからいろいろなものを捜し出した。
         △
 私はそこから一番先にやさしい女の心を、今と少しも変つてゐない女の心を捜し出した。貞淑な心を捜し出した。男は相変らず箒で女はいつも貞淑であることを、またその女の貞淑は半分以上子供のために捲き起されたものであることを捜し出した。つゞいて私は今の文壇にある心境小説よりも一層深く細かく突込んで書いてあることを、ロオカルであることを、大臣の思ひものであつても、決してまけてはゐずに、男の我儘を十分に懲らしめてゐることを、勝手に振舞つてゐることを、決して奴隷のやうになつてゐないことを捜し出した。私は愉快だつた、私は女がその恋の苦しさに堪へずに、をりをり家を出て、山寺に参籠するあたりの条を読んで、恋するもののつらさに深く同感した。男と女の違ひこそあれユイスマンスの『途上』をそのまゝそこに見出したやうな心持さへした。
         △
 矢張好いものは残るな! と私は思つた。本当のものといふことを私はよく口にするが、つまりこれだな! と思つた。心境小説が好いとか、本格小説でなくてはいけないとか言つて議論するがものはない。本当でさへあれば好いのだ。止むに止まれず書いたものでさへあれば好いのだ。
 私はつゞいてそれによつてその時分の京都の市街のさまをかなりはつきりと眼の前に浮べることが出来た。その時分にも火事がよくあつた。ある夜は、その家の近くが焼けて、大騒ぎをして慌てゝ荷物などを出してゐるのに、大臣が見舞にも顔を出さない、大方他の女の方へ先きに見舞に行つてゐるのだらうと言つて腹立たしげに書いてゐるあたりなども私の心を惹いた。ことにあの三条から逢坂山に出て行く街道――今の大津行の電車の通つてゐる道は、今よりも却つてその時分の方が賑かであつたらしく、国守などの供を大勢伴れて威張つて上京するさまがはつきりとその中に書いてあつた。京から唐崎あたり、または石山あたりは、日がへりに女車で遊びに出かけて行つて帰つて来るのに丁度好い道程であつたらしい。逢坂山の下の走井――今でもその跡がちやんと残つてゐるが、その記事などはことにはつきりと目に見えるやうに描き出されてある。
         △
 初瀬の観音の流行仏であつたことも、またそこに参籠するものの多かつたことも、女が壺装束をして網代車に乗つて出かけて行つたことも、この初瀬への道程が三日路で、初めの…

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