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谷合の碧い空
たにあいのあおいそら
作品ID48912
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「文章世界 第十二巻第八号」1917(大正6)年8月1日
入力者tatsuki
校正者hitsuji
公開 / 更新2021-06-15 / 2021-05-27
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 静かに金剛不壊といふことを思ふ。既に金剛不壊である。生死なく、暑寒なく、煩悩なしである。しかしそは生死なく暑寒なく煩悩なしを言ふことではない。又、生も可なり死も可なり暑寒煩悩も亦可なりと言ふことでもない。生の喜び、死の苦みは十分に受けることが必要である。また寒い暑いも人よりも一倍敏感に感じなければならない。唯考へなければならないことは、生死暑寒煩悩といふことは、実は、生命をめぐる方則であつて、それが我々人間の総てゞはないといふことである。生命の廻転する枢軸は、金剛不壊の力を以て常に無窮に動いてゐるではないか。

 両岸に触れたり、泗流の止むる所となつたりしてはいけない。又、停滞して腐敗してはいけない。我々は中流を静に流るゝ木片でなければならない。

 トルストイの『日記』を評したメレジコウスキイの評論は面白かつた。私の考ふる処に由ると、トルストイは、生死寒暑煩悩を非常に強く受けた人である。普通の人達の受けることの出来ないほどの敏感と細かい観察とを以て受けた人である。それでゐながら、かれは両岸に触れなかつた。又泗流の停むるところとならなかつた。その本体は常に金剛不壊の姿を保持してゐた。愛を説きながら、かれは実は愛を離れ、人道を説きながら、実はかれは人道を離れた。であればこそ、生死はわが欲するまゝに来るといふやうな暗示の深い境まで進んだ。

 経験で体得した方則は非常に力強い。少くともかれ自身に取つては、その方則は生きて動いてゐる。しかし世には経験を口にすれば、即ち経験道に堕し、観察を口にすれば即ち観察道に堕し、愛慾を口にすれば、即ち愛慾道に堕して了ふものが多い。さういふ人には、経験も、観察も、愛慾もすべて危険である。総てその身を傷けその心を壊る鋭利な刃である。恐しい両岸の誘惑である。私達はさういふ心境に停つてゐてはならない。経験も、観察も、愛慾もすべて金剛不壊の本体を背景にして、始めてまことの意味を着けて来る。

 恐怖は一体何処から生じて来るか。私はすぐ答へることが出来る。欲する心から、求むる心から……。
 欲する心あり求むる心があるがために、憂愁が生じ、その憂愁から恐怖が生じて来るのである。恋愛の問題がさうである。生死の問題がさうである。金銭の問題もまたさうである。
 欲する心に停つてゐては、あらゆる誘惑とあらゆる悪魔とがその隙に乗じて、恐怖の翼を拡げて迫つて来る。
 所謂罪悪はそこに生れて来る。
 飢人の食を奪ふといふやうな辣腕は、到底欲する心には動いて来ない。

 三枚の衣、一鉢の飯、さうした行を聖者は行した。衣食問題は大きな問題ではあるが、そこまで行けば、立派に世間の貧、苦、乏を解くことが出来る。
 何のための美食、又何のための美衣、又何のための美食を取り美衣を纏ふものに対する羨望乃至反抗ぞや。欲する念があるからではないか。求むる心があるからではな…

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