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旅から帰つて
たびからかえって
作品ID48913
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「文章世界 第十四巻第十号」1919(大正8)年10月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者hitsuji
公開 / 更新2021-11-06 / 2021-10-27
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私達の思つたり、考へたり、行つたりする一段上に本当の生活があるやうな気がする。そしてその生活は、今私達がやつてゐるやうな、そんな喧しい、または利害一遍な、何うしても自分達の欲するまゝを通さずには置かないといふやうなものではなくて、もつと自然な、静かな、平和なものに近いやうに私には思はれた。

 戦闘と言ふことが高調せられたり、征服被征服といふ字が用ゐられたりするといふことは、余り好ましいことではないと私は思ふ。何故なら、戦闘で勝利を得るといふことが決してすべてを解決したことではないからである。また征服被征服といふやうな心境では、到底人間の魂まで入つて行くことは出来ないからである。この世の中では、征服したものゝ方が本当の勝者か、それとも征服されたものゝ方が本当の勝者か、ちよつとわからないやうなことがよくあるものである。私の考へでは、さうした思想よりも、人間は次第に無抵抗主義の方に一歩々々入つて行く傾向を持つやうになつて行かなければならないものだと思ふ。

 矢張、主観だけでは駄目だ。主観が客観的価値を持つやうにならなければ――。

 果実はその熟する少し前に於て、落ちたり腐つたりすることが非常に多い。十中五六は駄目になつて了ふ。これに由つて見ても、人間が一生を健かに送るといふことは、容易なことではないやうな気がする。

 労働問題も、戦闘状態を一度は取つて見る方が好いかも知れない。しかしそれで解決が出来ると思つては間違ひだ。

 障子を開けて見ると、海がすさまじく荒れてゐる。暗澹としてゐる。そしてその岸近いところにあるかくれた礁のところだけに波が白く砕けてゐる。一面に空を蔽つた雲は概して鼠色で、ところどころ雲切がして、明るく日の光りがすかされて見えて居りながら、銀箭を射たやうな雨はすさまじく降り頻つた。私はさうした風雨にとぢこめられて、二日ほどその海岸の旅舎にゐた。そして三日目の午後に、ちよつと霽れた時を窺つて、辛うじて停車場にかけつけたが、しかも、上りの汽車に乗つた頃には、風力が再び勢を増して、雨は滝津瀬のやうに凄じく列車の窓硝子を伝つて流れた。

 ひとりさびしい鼠色の海に向つた心――それはあまりにさびしすぎた心であつた。

『夜もすがら船もよひして出て行くかつを取る船に海幸あれな』これは常陸の平潟の旅舎で詠んだものであるが、私達の眠つたその旅舎の一間のすぐ下が海で、明方近くまで終夜準備した船が発動機の音を立てゝ出港して行くさまは何とも言はれず勇ましかつた。通り一遍の旅客でさへ其準備の大変なのを見ては、その日の漁の幸運をかれ等のために祈らずにはゐられないやうな気がした。

 原釜の海水浴に行つた時には、私達は馬車も車もあるといふ中村で下りずに、その一つ手前の新地駅で下りた。(私達は仙台の方からやつて来たのである)『なアに、どんなに遠く見積つたつて地図によ…

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