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作品ID | 48922 |
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著者 | 田山 花袋 Ⓦ / 田山 録弥 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店 1995(平成7)年4月10日 |
初出 | 「電気と文芸 第二巻第三号」電気文芸社、1921(大正10)年3月1日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | hitsuji |
公開 / 更新 | 2021-11-17 / 2021-10-27 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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一
知多半島の東浦から西浦に越えて行く路は、今までにないほどの興味を私に誘つた。『知多半島ツて、こんなところかなア、こんなに面白い地形とは思はなかつた』私はかう独語した。
私は東浦の河和から車で越した。低山性の複雑した丘陵が、時には東を開き、南を開くといふやうな形を見せてゐたが、次第にのぼるにつれて、北も西もすつかり眼中に落ちて来た。その地平線の濶さ! 東浦も見えれば、西浦も見える。南の方には伊勢湾が開けて、その向うに朝熊が高くなつて見えてゐる。伊良湖の鼻と神島と相対してゐる形もよく見える。私はこの他に何処にこれほど濶い、これほど変化に富んだ大きなシインを見たであらうか。否、更に北には遠く常滑の土管工場が黒い煤烟を靡かせて、遙かに濃尾平野をさへ想像させたではないか。
『峠に行きますと、寒くなりますよ』
かう車夫は言つたが、果してその通りであつた。海を越した鈴鹿山脈には、雪が白く、右に偏つて尨大な伊吹山の半ば白くなつてゐるのが手に取るやうに見えた。
二
車夫は行く行く話した。
『そら、そこに、向ふに、山が見えるでせう、あれが、内海の秋葉山です。あれで、知多では、一番高い山です。何でも、義朝さまは、あそこで舟から上つて、用心に用心して野間に行つたんださうです。今でも、その人達の通つたあとがあります……。さうですな、内海から、野間まで二里位あります』
私の目の前には、遠い昔が浮んだ。京都を落ちて、美濃の大炊の宿から、ひそかに頼るべからざる人を頼りにして、一行七八人の同勢が、船で此方へわたつて来たさまが想像された。
尠くとも、義朝の悲劇は、暗い心の悲劇として日本の歴史の中に指を屈しても好いと私は思ふ。それに、湯殿で殺されたといふ形が面白い。それに、数年経つて、その子の頼朝がわざ/\そこにやつて来て、大法会を行ふと共に、長田父子を磔殺した形が面白い。
三
野間はさびしいところだつた。海岸の漁村にしか過ぎなかつた。やがて私はその頼朝のやつて来た時に建てたといふ寺の山門の前に立つた。義朝の首を洗つたといふ血の池には、午後の日影がさしわたつて、いかにも血のやうな色をしてゐた。未だにその恨みが生きて漂つてゐるやうな心持を私に誘つた。
それに、あたりの荒廃してゐるさまが、何とも言はれないさびしさを私に感じさせた。寺の本堂もそのまゝださうだが、それもすつかり大破してゐる。あたりには松が風に鳴つて、かうしたシインの中に、『時』が無限に没却して行くさまをそれとなしに私に思はせた。
義朝の墓は五輪塔型であつた。そこには、この他に、織田信孝の墓や、平康頼の墓があつた。周囲の深い樹の間から、午後の日影がさし込んで、それが風に動いて、心も揺らぐやうな気がした。
ふと、その墓の上に一杯に小さな太刀が積んであるのに眼をとめた私は、
『何だね? これは?』
『それです…