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中秋の頃
ちゅうしゅうのころ
作品ID48924
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「文章世界 第十二巻第十号」1917(大正6)年10月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者hitsuji
公開 / 更新2022-09-10 / 2022-08-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 芭蕉の葉が破れ始めた。これでも、秋がもう深くなつたことが思はれる。朝、目が覚めると虫の音がさびしく聞えてゐる。それが言ふに言はれない詩興を促がす。
 これからは書ける時だなどと思ふ。その癖、毎年碌なものを書いたためしもなく過ぎて来た。二十五六年前に、『隅田川の秋』といふ作をした時のことなどが不思議に思ひ出されて来た。
 もうあの時分のやうな興会は得られまいと思ふとさびしい気がする。矢張かうしていつの間にか過ぎて行つて了ふのだ……。為ようと思つたことの半分も出来ずに。
 今年は夏は晴天つゞきであつたが、今になつては雨が頻りに降る。毎日雨滴の木の葉や樹の幹から落ちるのを見て机に向つてゐる。鳥なども寒さうでまたさびしさうだ。毎朝きまつて朝の挨拶をするやうにしてやつて来た大きな蝦蟇もこの頃は何処に行つたか姿も見せなくなつた。それにしても其一部も人間に分つてゐない蝦蟇の生活が不思議な気がした。眼の大きい末の女の児に、『そら、お前の先祖が来たぜ』などゝ言ふと、『どれ? 何処に? 何だ? おかまがへるか』と云つて笑つた。
 樹が多いだけに、鳥も種々な鳥がやつて来た。四十雀の色彩ある羽を見ることも稀ではなかつた。春は鶯が私の籠飼ひのものででもあるかのやうにして家の周囲を去らずに好い声を立てた。何うかするとほゝじろの細かい囀などもきかれた。静かに観察すると、私の小さな庭だけにも随分沢山な生物が棲んでゐるのであつた。
 蛛も面白い。払つても払つてもぢきに又網を張る。そしてそれに銘々その持場があつて、何処には何ういふ網、此処にはかういふ網といふ種類が大抵きまつてゐる。高い枝の上から下りようとする時などは頗る便利に出来てゐる。ヅウと長く糸を引いて下りて来る。わけはない。人間もあゝだつたら面白いだらうなどゝ私は見惚れた。
 ある日ふと蛛の網に大きな羽のある虫がかかつた。飛ばうとしても何うしても飛べない。何でもかれ是二三十分さうして動いてゐたが、終には労れたと見えてその活動が十分でなくなつた。……と、段々その網の主が隅の方からその姿をあらはして来た。『やつて来たな』かう思つて私は見てゐた。それはさほど大きい蛛ではなかつたが、かれは決してそのまゝ不用意に進んで来なかつた。かれはかなりに細心にその網にかゝつたものを観察するらしかつた。やがて徐々に近寄つて来た。ところが獲物そのものに触ると思ふと、虫は驚いて凄じく羽を動かした。蛛の網は波のやうに揺いだ。蛛は何うすることも出来なかつた。
 私はかれ是一時間以上もそれを見てゐたが、その争ひは容易に片がつかなかつた。しかし、夕方に見た時には、その大きな虫は既に蛛の為めに完全な獲物になつてゐるのを見出した。
 人間の使用してゐる網は、これから発達して来たのであることを考へても、私は不思議な気がした。
 一月ほど前には、親類の娘が来て、蝉になる虫のゐ…

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