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なつ
作品ID48931
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「文章世界 第十五巻第九号」博文館、1920(大正9)年9月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者hitsuji
公開 / 更新2022-06-30 / 2022-05-27
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

K君

 富士見からK君がやつて来て、いろいろな話をした。近年になつて、山にやつて来るものが非常に多くなつたといふこと、何でも百人位は今でもゐるといふこと、さういふ人達はあの停車場前の旅舎や、たのんで置いて貰つたしろうと屋や、その他農家の一間にまで入り込んで行つてゐるといふこと、設備がないから軽井沢のやうには急には行くまいけれど次第に、避暑地としての価値が認められて来ることを尽きずに話した。私の行つた時のことなどが、一つ一つ思ひ出されて来た。

山の桔梗

 山の見事な草花が一番先きに私の頭に上つて来た松虫草、女郎花、われもかう、刈萱、ことに桔梗の濃い紫は何とも言はれなかつた。私はよくそれを取つて来て、正宗の空罎の中にさして、机の上に置いた。『きちかうの花のゆかりの色に出て、妹をぞ思ふ山にしをれば』かうした歌を絵葉書に書いた時のことなども思ひ出されて来た。

池の畔

 私のゐた別荘の下に、小さな池があつた。それは大したものではなかつたけれども、水草だの、芦だの、藺だのがしげつてゐて、この山の中に、ちよつと水郷を思はせるやうな趣を示してゐた。時には森や丘の姿が静かに黒くその水の面に落ちてゐるのを見たことなどもあつた。今はそこに、此方の岸に瀟洒な二階屋が一軒出来て、そこから三味線の音がきこえて来るといふことであつた。
 K君は言つた。
『その料理屋はKさんの弟がやつてゐるんです。そら、上諏訪の芸者を細君にした、先生はあの人々に逢つたことはありませんかね』
 さう言へば、私もそのKさんの弟のロマンチツクな閲歴をかなり詳しく聞いて知つてゐた。それはアメリカからブラジル、それから大陸にわたつて、イギリス、フランスと浮浪して歩いたやうな人であつた。かれは巴里から帰国の旅費を故郷に電報で言つて来たりした。そのかれが、さうして細君と共に、その池の畔に小さな茶屋を開いてゐる形は面白いと私は思つた。

卯の花

 私のゐた山荘の周囲が卯の花で白く囲まれてあつた。それをいつも思ひ出さずにはゐられなかつた。

山村

 其処に一聚落、かしこに一部落と言つたやうに、人家が、処々に散点してゐる形が、いかにも山村らしい感じを私に与へた。私はよく原の茶屋に行く途中で、立つて、あたりを眺めたことを思ひ出した。釜無の谷を塞いだ鋸岳からは、いつも雲が湧き出してゐた。

小さな畠

 K君やS君が私のためにつくつて呉れた小さな畠、それを私は今でも思ひ出した。さゝげ、茄子、白瓜、菜、形ばかりではあつたけれども、それでも私はよくそこに食ふ物をさがしに行つた。誰も構はないので、後には、その小さな畠は全く草藪になつて了つた。しかも、私はある日そこに、美しい瑠璃色をした茄子を三つまで発見したことを思ひ出した。
 K君だつたか、N君だつたか忘れたが、誰れかが始めてそこにその小さな畠をこしらへた時のことを書い…

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