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花束
はなたば |
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作品ID | 48936 |
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著者 | 田山 花袋 Ⓦ / 田山 録弥 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 花袋全集 第二十二巻」 臨川書店 1995(平成7)年2月10日 |
初出 | 「令女界 第五巻第五号」1926(大正15)年5月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 津村田悟 |
公開 / 更新 | 2018-01-22 / 2017-12-26 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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一
順吉は今でもはつきりとその時のさまを思ひ出すことが出来た。右に石垣、その下に柳の大きな樹が茂つて、向うに橋がある――その橋も、殿様のゐる頃には大小を挟んだ侍が通つたり、騎馬の武士が蹄を鳴して勇しく渡つて行つたりしたもので、昔は徒士や足軽の子供などはそこに寄りつけもしなかつたものであつたが、城に草が生えるやうになつてから全く廃たれて、ぎぼしは盗まれ、欄干は破れ、橋板もところどころ腐つて、危くつてとても渡つて行くことが出来ないぐらゐになつてゐた。それにも拘らず、そこらに遊びに来てゐる子供達は、却つてその橋のぐらぐら動くのを面白がつて、わざと欄干の上をわたつたり、ところどころ大穴の明いてゐる橋板を踏み鳴して向うに行つたり、それも倦きて、忽ち裸になつて、その下の綺麗な水にザンブと身を跳らせたりした。何うしてあそこがあんなに面白かつたか。何うして母親にあれほど行つてはならないと厳しく戒められながら平気でそこに出かけて行つたか。それは今の順吉にもちよつともわからなかつたけれども、兎に角夏から秋にかけて、昼過には、子供達は大勢そこに集つて行つたものだつた。『また、お前、千貫橋に行つたね。うそを言つたつて、すぐわかるよ』順吉が帰つて行くと、母親や姉はかう言つて水を浴びて綺麗になつてゐるその顔を眺めた。
ある時、順吉の顔を見ながら母親が言つた。
『お前、千貫橋は怖いんだよ。あそこには昔から主がゐるんだよ』
『主つて……?』
『主ツて、お前、太い、太い、四斗樽のやうな大蛇サ……』
『そんなものはゐやしないやい……』
『ゐるんだよ、昔からさう言つてゐるんだもの……。殿様のゐる時分にも、度々その主が人を呑んだんだもの……。体はなくつて大小だけ橋の下に落ちてのこつてゐたこともあるんだもの……』
『うそだい……』もう好加減大きくなつてゐる順吉は、容易にさうした嚇かしを信じなかつた。
『だつて、お前、本当だよ』
傍にゐた姉も真面目な顔の表情をしてかう附け加へた。
そればかりではなかつた。母親はその他にも不思議なことや恐しいことがその千貫橋のあたりに沢山巴渦を巻いてゐると話した。あの水の綺麗なのも、あたりが何となくさびしいのも、あそこが魔の場所だからだと話した。『さうだらう……。お前だつてさう思ふだらう。何処かあの柳の下なんか気味がわるいだらう。それがその証拠だよ。だから行くんではないよ』母親はかう附け足した。
それはそこに行かせないために、さう母親が言ふのであることはわかつてゐても、それでもそれが全くさうであるとは順吉には思へなかつた。しかしそのあたりの荒れ切つたさまや、草が生え放題に生えてゐるさまや、柳が風に靡いてゐるさまや、そこに綺麗な水がさらさらと石畳の上を流れて、果ては次第に深い壺のやうになつてゐるさまは、幼い心にも多少の無気味を誘はないでもなかつた。順吉は眼をま…