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花二三ヶ所
はなにさんかしょ
作品ID48944
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「週刊朝日 第七巻第十六号」1925(大正14)年4月5日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者hitsuji
公開 / 更新2022-04-17 / 2022-03-27
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 花の咲きはじめるのを待つのも好いものだが、青葉になつてから、静かに上野の山あたりを歩くのもわるくない。桜の開落は少しあつけないが、その頃になると、椿だの、木瓜だの、山吹だの、躑躅だの、段々に咲いて行くので、二十四番の春を一つ一つ楽しんで行くことが出来るやうな気がした。
『春雨にやつれしさまを見せじとや晴るればやがて花のちるらん』これは松波遊山翁の歌だが、花の盛にはいつでもそれを思ひ出す。やや感傷癖に過ぎるやうではあるが、咲きそろつた花に雨がしめやかに降つたりすると、さういふ気がする。それに、四月の末頃には時ならぬ凄じい雷雨がよくあるのである。『夜もすがら寝られざりけりこの雨に今年の花も散るかと思へば』私はある時さういふ歌を詠んだ。



『都をば春にわかれて来しかどもおく山桜いまだにほはず』伊香保とか、那須とか、日光とかいふ山の中に残桜を尋ねる心持もまた忘れ難い。都会は既に青葉である。日影が美しくかがやいてゐる。それであるのに、奥山はまだ雪が深く、花どころか、温泉場が一軒二軒やつと扉をあけたくらゐのものである。那須あたりは、五月の初めに行つても、まだ綿入が欲しいくらゐだ。
 京都は何処に行つても花があるが、私の忘れられないのは、矢張大原の奥から鞍馬あたりを彷徨した時である。
『大原や蝶も出て舞ふおぼろ月』実際、あそこいらの感じはその一句に尽きてゐると言つて好い。寂光院や、三千院や、後白河法皇が鞍馬でも落附けずにあの薬王坂を越して、大原から横川に落ちて行かれたことなどが、自然を地に刺繍でもされたやうにあたりに残つてゐるのは何とも言はれない。



 春の色彩の一番濃やかだつたのは、何と言つても紀州の旅だ、あそこは春の来るのも、花の咲くのもぐつと早い。三月の末にはもはやあたりが菜の花や梨の花で彩られる。大きな夏蜜柑が黄ろく熟して見られる。蛙が頻りに鳴く。唯、雨が多いが、それも取りやうによつては、却つて春を濃にした。私は今でも終日ぬれそぼちて岨から岨へと歩いて行つたことを、渓に沿つた路を歩いて行つたことを思ひ起す。高い山の上に花の咲いてゐるのを見て、『いかにして種は生ひけんと思ふまで高き高根に花の咲くかな』と詠んだことを思ひ起す。また凄じく巴渦を巻いた激湍に花片が絵のやうに淀んでつかへてゐたさまを思ひ起す。
 山から山。村から村。筏師の定宿になつてゐるわびしい小さい旅舎。さういふ谷合に花の白く咲き満ちてゐるさまは、とても都の人達の夢にも見ることの出来ないものであらう。私は玉置山から中辺路を通つて、栗栖川から田辺の方へと出て来たが、その春の旅は今でも絵巻のやうになつて一つ一つ私の眼の前に展げられて来た。



 もう一つ春の花の印象として忘れられないのは、北京の郊外の玉泉山のあの天下第一泉の碑の立つてゐるところで、柳の花の飛ぶのを見たことであつた。柳絮…

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