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批評
ひひょう
作品ID48948
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「電気と文芸 第五号」電気文芸社、1920(大正9)年12月1日
入力者tatsuki
校正者hitsuji
公開 / 更新2021-04-15 / 2021-03-27
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         □
 批評といふものは、他に対して自己を発見することである。他のわる口を言つてゐる言葉の中に、却つて自己の弱点を示してゐるやうな場合がよくあるものである。
         □
 つまり互ひに刺違へてゐる形である。だから小説の批評などにしても、その小説と批評とを両方並べて読んで見なければ、本当のことはわからない。思ひもかけず、その批評の中に却つてわる口を言はれた作のすぐれてゐることを裏書してゐるやうなのを発見することが往々にしてある。
         □
 批評は滅多に出来ない。何故と言ふのに、注意しないと、その批評の中に、自分の弱点やら欠点やらがかくすところなくあらはれて見えて来るものであるからである。また、自分の心の底に人知れず深く蔵つて置いたやうなものまでも、いつかそこに歴々とあらはれ出して来るからである。
         □
 批評をされることも厭なことだが、批評をすることも厭なことだ。成らうことなら、批評も聞かず、批評もせずにゐたいものだが、何うもそれではこの世の中が成り立つて行かないから為方がない。
         □
 人間は矢張死んで了つた後でなければ、本当の批評を得ることは出来ないものだといふことを、私は此頃つく/″\思つた。
         □
 生きてゐる中は、褒めていけず、わる口を言つていけず、いくら本当のことを言はうと思つても、無意識的に、鍍をせずにはゐられないのだから困る。
         □
 親友だからと言つて、わざとその人の欠点や弱点を大袈裟に批評したり何かするものがあるが、私は取らない。さうかと思ふと、その反対に無闇にその人を賞めちぎつてばかりゐるものがある。それも私は取らない。何故なら、何方も本当でないからである。心に虚偽の影が掠めて行つてゐるからである。
         □
 賞めるといふことが、刺るといふことと同じであるやうな場合を私はよく見出す……。
         □
 若いものは老いたものに喰つてかゝるやうな場合が多い。また新たに進んで来たものは、旧くゐるものをきまつて押しのけやうとしたがる。そこに、いやな争闘が起つて来る。しかも実際は、喰つてかゝらなくとも、老いたものは、すぐ過ぎ去つて了ふし、旧るくゐるものは、早晩必ずその地位を新たに進んで来たものに譲るのだから、何もそんなにしなくつても好ささうに思はれるが、さて、実際に臨むと、さうは行かないものらしい。何うも為方がない。
         □
 ある作家は悪評ばかりを受けたために、大家になつた。またある作家は好評ばかりを受けたために大家になつた。
         □
 若い時考へると、今でさへかうだから、今に、何んなにでも豪くなれると思はれるものだ。その癖、時はかれに決して『豪さ』を齎らして来ない。進歩? 退歩? 時には、人…

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