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不思議な鳥
ふしぎなとり
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「文章世界 第十五巻第五号」1920(大正9)年5月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者岡村和彦
公開 / 更新2018-02-23 / 2018-01-27
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

芸術と実行

 実行と芸術との問題は、今でも新しい問題であらねばならぬ。実行と芸術とは離るべからざるものであつて、そして猶且つ離れなければならないものである。それは実行のあるところに、必ずしも芸術があると限つてゐないからである。また実行がなくとも芸術はいくらでも立派に成立するからである。だから芸術に於ては閑文字だからと言つて捨て去ることは出来ない。また無内容だからと言つて、これはすぐれた作品でないと言ふことは出来ない。

不思議な鳥

 不思議な鳥、今そこにゐたかと思ふと、すぐ何処かに飛んで行つて了ふといふやうな、さうかと思へば、いつまでもいつまでも一つの枝に留つてゐるやうな、また、現にそこに留つて居りながら、ある人には見え、ある人には見えないといふやうな、さうした不思議な鳥、その鳥に私は微妙な芸術を発見した。

不思議な鳥と作者

 いくら学問をしても駄目だ。いくら修養を積んでも駄目だ。また、いくら経験をしても駄目だ。立派な意見や議論を持つてゐて、内容がどんなに充実してゐても駄目だ。――その不思議な鳥が作者の頭に入つて来ない中は、作者の眼に見えない中は、また作者の心に棲まない中は。

天才

 天才といふものの中に、その鳥が棲んでることもあれば、平凡な頭の中に、一時その鳥が棲んでゐることもある。何うも容易に端倪することが出来ない。



 力だけで芸術が出来ると思ふ人もあるやうだが、それは大変な間違である。力は唯それを助けるばかりである。

ある時代

 ある時代には、頭も心もすべて夥しくリアリスチツクになるものである。ちやんとした事実の証拠がなければ、あらゆるものに点頭くことが出来ないといふのが即ちその時代である。これは、個人の一生の中にもあると共に、大きな歴史の潮流の中にもある。さういふ時代には、人間は夥しく物質的になつて、好奇心といふやうなものが絶えずその車を廻す油として役立つものである。さういふ時代に出来た芸術は、力はあるが、感じが疎く、印象もさう大して深くはない。

新しい創造

 ある時私は言つた。
『何うも、リアリスチツクなものは面白くなくなつた。事実はいくら繰返しても同じだ。平凡だ。何うも、それだけでは物足らない。実際でも、さうだから、芸術では、ことにさうだ』
『それだけ、中心から傍に廻避したといふ形ですね』
 かう相手は言つた。
『さうだ……確かにさうだ。あらゆることに興味がなくなつたのだ。あらゆることに好奇心がなくなつたのだ。しかし、私はそれを悔まない。また、そのため、私の芸術が衰へたとも思はない。何故なら、さうした超越した境にも、すぐれた芸術があると思ふから――』
『実際、あるかしら?』
『それはある。現に私などにしても、リアリスチツクな心持を抱いてゐた時には、リアルでさへあれば、それでよかつた。それがドキユメントだつた。ところが、…

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