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船路
ふなじ
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十二巻」 臨川書店
1995(平成7)年2月10日
初出「太陽 第二十八巻第四号」1922(大正11)年4月1日
入力者tatsuki
校正者津村田悟
公開 / 更新2019-04-13 / 2019-03-29
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 大華表の下には既に舟の支度で出来て、真中の四布蒲団の上に、芝居で使ふやうな小さな角な火鉢が置かれてあるのをかれは目にした。
 それは最早夕暮に近かつた。向うの長い丘には、まだ夕日の影が微かにさし残つてはゐたけれども、冬の日脚の短かさ、それも忽ち消えてなくなつて了ふであらうと思はれた。かれは急いで船に飛び乗りながら、
『日のある中に、潮来までは行けるかね?』
『さうですな。』まだ比較的若い船頭は、船尾のところで徐かに綱を解いてゐたが、仰ぎ見るやうにして、『何しろもうお天道さまがあんなところにゐますからな。暮れますな? 何うしても……』
『それでも半分くらゐは、明るい中に行かれるだらう?』
『さうですな。』
 正木は其時は既に四布蒲団の上に坐つて、傍にあつた小ざつぱりした木綿のどてらを角火鉢の上にかけてゐた。
『好いだらう? このどてら借りて?』
『好う御座んすとも。』
 船頭は素直に点頭いた。
『何しろ、この頃の寒さではね? 船はちよつと物好だつたけども、汽船が六時過ぎでなくつてはやつて来ないつていふからねえ。』
『その六時も何うだかわかりませんや。何しろ、此頃の寒さで、氷が張つちやつたでね? さつき此処に来た汽船が、いつもなら鉾田まで行つて、今夜は泊りになるだが、そこまで入れねえで引かへして来るだでな? 何うしても二時間や三時間はおくれらア……』
 軽い動揺を感じたと思ふと、船はもはや岸を離れて、五六間湖上に浮び出してゐた。船頭は頻りに竿を突張るやうにした。
『えらい寒さだね? 今年は!』
 正木は言つた。
『本当でさ! こんなことは、何年にもありやしませんや。わしら覚えてから始めてでさ。大正六年にも少しは張つたには張つたが、こんなぢやねえ。横利根は丸で氷で張詰めてるつていふぢやねえか?』
『汽船もその氷を壊し壊しやつて来たんだよ。』
『ぢや、おめさん、さつきの汽船で来たんだな? 鹿島さまけえ?』
『うむ、ちよつとお詣して来た。もう度々来るには来たんだけども――』かう言つた正木の眼には、さつき汽船から上つてからのことが歴々と浮んで来た。車が検査で皆な鹿島の町の方へ行つてゐて、此処には一台もないと言ふので、仕方なしにあの長い阪を登つて歩いて行つた。そこには蓮の枯れた池があつたり、刀の研師の看板の出てゐる家があつたりした。阪の上から振返つた時には、思はずかれは立留つて声を立てた。そこからは、午後の日影に半ば照された北浦が手に取るやうに見えた。
 鹿島の町ではもとそこの神宮の禰宜をしたことのある人が死んで、今、葬式が出るところだとか言つて、細い通りに大勢人が羽織袴で集つて立つてゐるのをかれは目にした。かれはさびしい気がした。自分も一度はあゝいふ風にして人々に送られるのだなと思つた。正木はこれまでに既に世間の辛酸を十分に甞めて来てゐた。髪ももう半ばは白くなつてゐた…

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