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明治文学の概観
めいじぶんがくのがいかん
作品ID48960
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十四巻」 臨川書店
1995(平成7)年4月10日
初出「文章世界 第七巻第十四号」博文館、1912(大正元)年10月15日
入力者tatsuki
校正者hitsuji
公開 / 更新2020-07-07 / 2020-06-27
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 飜案の時代

 明治の文学は、飜案の時代、飜訳の時代だと言へる。国民性といふことが言はれるけれど、その国民性と文学と何の点まで一致して居るかといふことは疑問である。
 勿論、それは明治の時代がさういふ時代であるからである。物質上ばかりでなく、精神上にも一般に模倣飜案といふことは争はれない。学者も思想家も創作家も、西洋の著書からその思想と問題と様式と着想とを得て来て、そしてそれを今の実際に当てはめやうとしてゐる。従つて、明治の文学は先に進み過ぎた文学、国民性にかけ離れた文学、切実の度のない文学、更に進んで空疎な文字の多い文学であつたといふことが出来ると思ふ。
 その証拠には、明治の文壇に起つた議論とか、思潮とかを検して見ると、それは大抵は西洋から翻案し来つたもので、それに就いて徒らに空論を上下して居るやうなものが多い。覚醒の第一の警鐘と謂はれる『小説神髄』からして既にさうである。其他、没理想の議論でも、ハルトマンの美学でも、ニイチエの美的生活でも、イブセンでも、オスカーワイルドでも、所謂自然主義でも、皆なさうである。いつでも国民一般の平行線よりも百歩も二百歩も先に出てゐる。
 しかしこれが悪いといふのでは決してない。さういふ模倣好きな、翻案好きな国民だから、文学の方面ばかりでなく、総ての方面に於ても、短かい年月の中に、驚くやうな長足の進歩をしたのである。文学で見ても、『小説神髄』時分と今とを比べて見ると、かうも違ふかと驚かれる位である。僅か二十七八年の中にかうした進歩をしやうとは、誰も予期するものがなかつたに相違ない。
 鳥渡見たところでも、文体の変化、これが第一に驚かれる。『色懺悔』などが迎へられた同じ文壇に、今日の整つた文体が出て来やうとは何うしても思はれない。今の文体は、その体裁に於ては、全く和文漢文の領分を離れて、西洋最近の作家の文体の塁を摩してゐるものが尠くない。総て、お話風から進化して、描写の方面へと進んでゐる。次に、観察の進歩、これなども中途で留つては居ずに、ドシドシその根柢に向つて進んで行つたといふ趣がある。第三に創作の構造、これなども、段々古い技巧の衣をぬぎ捨てゝ、一直線に新技巧に向つて進んだ著しい跡が歴々と指点される。
 私の知つてゐる明治の文壇は、『小説神髄』以後であるが、自分で考へて見ても、その進歩の急激なのには驚かずには居られない位である。その時分の小説を出して来て見ても、文体の乱雑、着想の幼稚、殆ど読むに堪へるやうなものはないと言つても好い位である。それほど進歩してゐる。しかし、それは前に言つたやうに、飜案的、飜訳的であることは勿論である。寧ろ飜案的、飜訳的であつたから、さういふ長足の進歩をすることが出来たとも言へる。

二 西洋作家の感化

 西洋の作家の感化、これが一番明治の文学に大きな影響を与へてゐる。西洋の思想なり問題な…

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