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あちこちの渓谷
あちこちのけいこく
作品ID48995
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十七巻」 臨川書店
1995(平成7)年7月10日
入力者きゅうり
校正者岡村和彦
公開 / 更新2019-10-03 / 2019-09-27
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は渓谷がすきで、よくあちこちに出かけた。時にはまだ世間にその名を知られてゐない渓谷を探して、それを一つ一つ書いて見たいと思つたこともある。中年に脚気を病んで、心臓をわるくして、登山が出来なくなつた身には、さういふ形ででも山に親しみたいと思つたのである。此処には少しそのことを書いて見ようと思ふ。
 木曾谷などは今では汽車から覗いて行くことが出来るやうになつたが、私達の青年時代の眼に映つたその谷は、決して今のやうなものではなかつたやうである。水力電気といふものが発達してから、何処の渓谷も皆わるくなつたが、この谷などは中でもひどく壊されてしまつたやうに思ふ。第一水が乏しい。石ばかりごろごろしてゐる。棧橋あたりはことに惨めである。数年前に、冬そこを通つてつくづく情なかつたことを思ひ起す。日光の大谷の渓谷などでも、神橋の上流の下河原あたりはことにその感が深い。含満ヶ淵などはとても昔の趣がない。
 渓谷としては、塩原の箒川の谷はかなりに私の心を引く。それもあの回顧橋から福渡戸あたりまでである。つまり渓谷が深く覗かれる中だけである。新緑のころがことに美しい。大谷の渓谷では深沢あたりが一番すぐれてゐる。あそこですぐ山道につくのも、絵巻物の一景としては変化があつていゝけれども、もつと渓につゞいてあの方をたどつて行きたいやうに思ふ。華厳の下あたりまでその路を開いたら、更に新らしいすぐれた渓谷が展開されて来はしないか。
 陸中の猊鼻渓は今は一の関から軌道が出来たのでわけなく行ける。この渓谷は渓谷の美としてよりも岩石の美である。それに夢見るやうな静かな谷であるのが捨て難い。五串の巌美渓と名を斉しうしてゐるが、それよりはいくらかよいやうである。須川岳の向う側にある子安川の峡谷もちよつとよい。十和田に行く奥入瀬の渓流はよいが、今はやゝ俗化して了つてゐる。あそこなどももつと静かにして置きたかつた。弘前から入つて行く岩木川の上流も行つて見たいと思ひながら今だに行つて見る機会がなくつて遺憾に思つてゐる。それからこれはついこの間行つて見たのだが、上州沼田の西にある赤谷川の渓谷もちよつと見事である。湯島からかけて相生橋、それから温泉のあるあたりまでは、扇頭の小景だといつてしまふことの出来ないあるものを持つてゐる。猿ヶ京の古城址からその渓谷の展開されて行く形を眺めるさまは、かなりすぐれてゐると私は思つてゐる。
 金剛山の山水美が潭と岩とにあることは私も度々説いた。実際あゝした美しい刺繍されたやうな潭は日本にはない。例を求めれば、あの美濃と尾張との間にある玉野川のあの碧い潭がやゝ似てるのであるが、その大小においてまたその深浅において非常に差があるので、とても比べものにはならない。比べてはをかしいくらゐである。しかし万瀑洞にしても玉流渓にしても、平生水量はあまり少なすぎる。そのため、私達には渓谷と…

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