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女の温泉
おんなのおんせん
作品ID49003
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十七巻」 臨川書店
1995(平成7)年7月10日
初出「婦女界 第二十五巻第六号」1922(大正11)年6月1日
入力者岡村和彦
校正者hitsuji
公開 / 更新2022-02-12 / 2022-01-28
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 女に取つての温泉場――関東では伊香保が一番好いといふのは、昔からの定論であるらしかつた。果してさういふ風にあの湯が効目があるか何うか。それは知らないけれども、細君同伴で一まはりも湯治して来れば、屹度子供が出来るなどゝ言つたものであつた。兎に角あそこは女に取つて好い温泉場であるに相違なかつた。第一、行くのに便利であつた。上野から足、地を踏まずに行く事が出来た。それに、山も大して深くはなかつた。女が馴れ親しむのには丁度好かつた。
 散歩区域としても、物聞山があつた。湯元があつた。更に遠く榛名湖があつた。夫婦お揃ひで可愛い子供を伴れて駕籠か何かで路草を食ひながら、春ののどかな日影に照されつゝ、あのスロオプをのぼつて行くさまは、ちよつと絵のやうな感じをあたりに与へた。駕籠の中の細君は、道々採つた蕨をハンケチに巻いて持つてゐて、駕籠が休む度に、そこから下りて、あたりの草原の中を頻りに探しなどした。『さうですね。あそこの蕨はちよつと面白いですね。私、榛名に往く途中に手に持てないほど採りましたからね。さう五月の初でしたね。あの時分はあそこは何とも言へませんね。のんきで、暖かで、のんびりして、本当に温泉場に来たやうな気がしました』かう私の知つてゐる細君は云つた。
 あの明るい五月の新緑! 何も彼も新しく生き返つた様なあの日の光! それに林の中に透き通る様な駒鳥の高い囀! 実際、春の温泉場としては、あそこに越すところはない様な気がした。否そればかりではなかつた。秋の初茸狩がまた面白かつた。それはあの電車の伊香保に着かうとするあたりの左側の松山に多く出るのであるが、春の蕨狩りに比して、決して劣らないだけの興味があつた。女でも子供でも時の間にかごに一杯になるほど、初茸を採つて帰つて来ることが出来た。
 それにあの眺望――濶々としたあの谷と山との眺め、雲の眺め、赤城山の大きな姿を前にした形は、家庭の煩瑣にのみ精神を疲らせられた細君達に取つて、どれほど生き返つた心持を漲らせる対象となるか知れなかつた。



 塩原も女に取つては、好い温泉場であるに相違なかつた。そこも矢張春が好かつた。新緑の頃が好かつた。明るい日の光線が長く谷の中にさし込んで、渓流が丸で金属か何かのやうに美しく砕けた。ことに忘れられないのは、門前の手前から一支流に遡つて、あの塩の湯に行くあたりであつた。あそこらはいかにも名所図会の挿画にでもありさうな風景で、渓は渓を孕み、谷は谷に連り、浴舎は浴舎に接するといふ風であつた。あの塩の湯の谷合に湯が湧き出して、そこに大勢男女が混浴してゐるさまなども、明るい日影の下で見るとそのまゝ面白い絵になりさうに思はれた。
 塩の湯の旅舎のあるところから、裏道をちよつと向うに出て来ると、丸で別天地とも思はれるやうな山村が開けた。そこには桃や桜が一面に咲いてゐた。渓流の音があたり…

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