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紅葉山人訪問記
こうようさんじんほうもんき
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十七巻」 臨川書店
1995(平成7)年7月10日
初出「文章世界 第七巻第十四号」1912(大正元)年10月15日
入力者岡村和彦
校正者津村田悟
公開 / 更新2020-01-10 / 2019-12-27
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 随分もう昔だ。その頃のことを繰返して見ると、いつの間にか月日が経つたといふことが染々と考へられる。尾崎紅葉と書いた返事が来た時、自分は何んなに喜んだか知れなかつたが、其喜びももう想像が出来ない位薄い印象を残してゐるに過ぎない。
 明治二十三四年頃の紅葉山人の名声はそれは隆々たるものであつた。紅葉、露伴と名を並べて言はれてゐたが、何方かと謂へば、矢張紅葉の方が評判が好かつた。『色懺悔』『此ぬし』それから『読売新聞』に『おぼろ舟』を出した。
 春の屋主人はもう其頃は余り小説を書いて居なかつた。鴎外漁史もまだその処女作『舞姫』を世に公にしなかつた。其時分の大家号授与所に言はれた『国民之友』の春夏二季附録には思軒、美妙、嵯峨の屋などといふ人達が書いてゐた。
 紅葉山人の小説は艶麗な文章で聞えてゐた。それに硯友社の人達が常に其の周囲を取巻いてゐて、何処となく領袖といふやうな貫目があつたので、それで一層其頃の若い人達の渇仰の的となつた。
『読売新聞』で、露伴の『ひげ男』と紅葉の『伽羅枕』とを同時に掲載する計画を立てたのは、あれは確か二十三年の春頃だつたと思ふ。両花形が腕くらべをするといふので、それは非常な評判であつた。何方が旨いか、何方が成功するか、かうした声は到る処で聞えた。私なども、町の角に大きく出てゐる画看板を見て、その名声にあくがれた貧しい文学書生の一人であつた。
 紅葉は『伽羅枕』を牛込の北町の家で書いた。太田南畝[#ルビの「なんぽ」は底本では「なんぼ」]の屋敷の中だとかいふ奥まつた小さな家で、裏には大きな樫の樹が笠のやうになつて繁つてゐた。八畳の前の庭には、木戸がついてゐて、そこから、硯友社の人達は『居るかい』などと言つて入つて来た。
 北町の通を私は其時分よく通つた。其小さな門に、尾崎と書いた表札がかけてあつて、郵便箱には硯友社と書いてあつたのを今でもはつきりと記憶してゐる。やがて『読売』に出た二つの作は、何方も読む人達の心を惹いた。『ひげ男』は殊に評判がよかつた。『流石は露伴だ!』といふ声が彼方此方から聞えた。それにも拘らず、露伴は五六囘で筆を絶つて、飄然として、赤城の山中に隠れた。『伽羅枕』は百囘近く続いた。
 私は其頃、毎日弁当を持つて、上野の図書館に出かけた。それで貴重書類の中から西鶴物などを借り出して読んでゐた。また時には西洋の小説などを出して来ては読んだ。西洋から入つて来た文学と漢文学と国文学と、それから徳川時代の戯作者の文学とが渦を巻いて乱れ合つてゐるといふやうなのが、当時の文壇の状態であつた。私は解らずなりにも英吉利の文学をその頃かなりに読んでゐた。サツカレーの『虚栄市』『ニウカムス』ヂツケンスの『ヒツクウイク』『二市物語』などを読んだり、ウイルキー・コリンス[#「ウイルキー・コリンス」は底本では「ウイルキーコリンス」]の『白衣婦人』『イ…

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