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豚肉 桃 りんご
ぶたにく もも りんご
作品ID49146
著者片山 広子
文字遣い新字旧仮名
底本 「燈火節」 月曜社
2004(平成16)年11月30日
入力者竹内美佐子
校正者富田倫生
公開 / 更新2008-12-20 / 2014-09-21
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 軽井沢の家でY夫人から教へて頂いた豚肉のおそうざい料理はさぞおいしいだらうと思ひながら、まだ一度も試食したことがない。(その夏は中国と日本とのあひだが険しい雲ゆきになつた年であつた、しかし私たちはまだ軽井沢に避暑に行くだけの心の余裕をもつてゐた。)それはY家の御主人がドイツに留学してをられた時に宿の主婦が自慢に時々こしらへたおそうざい料理だつたさうである。豚肉を三斤位のかたまりに切つて肉のまはりを塩と胡椒でまぶし深い鍋に入れて、葱を三寸ぐらゐの長さに切り肉のまはりに真直ぐに立てて鍋いつぱいにつめ込むのである。水も湯も少しも入れずに葱と肉から出る汁で蒸煮のやうに三時間ぐらゐも煮ると、とろけるやうにやはらかい香ばしい料理ができるといふお話であつた。
 その夏その料理を教へていただいて帰京してからの私たち東京人の生活はだんだん乏しくなつて、やがて一斤の肉さへ容易に手に入れがたくなり、葱なぞは四五本も買へれば運がよいと思ふやうになつた。その貧乏生活が十年以上も続いて漸くこのごろはどんな食料でも手に入るやうになつて来たけれど、しかし店々にどんな好い物が出揃つても、大きな買物をすることは今度は私のふところ勘定がゆるさなくなつて、私の家の大きな鍋に三斤の肉の塊りとそれを包む葱を煮ることはまだまだ出来ずにゐる。
 軽井沢の家では夏じうよいお菓子を備へて置くことも出来なかつたから、お客さんの時は果物のかんづめをあけることもあつたが、大ていの時は桃をうすく切つて砂糖をかけて少し時間をおいてからそれをお茶菓子にした。水蜜よりも天津桃の紅い色が皿と匙にきれいに映つて見えた。半分づつに大きく切つて甘く煮ることもあつたが、天津のなまのものに砂糖と牛乳がかかるとその方が味が柔らかく食べられる。天津は値段も味も水蜜よりは落ちる物とされてゐたが、ふしぎに夏のおやつにはこの方がずつと充実してゐた。戦後になつてからは天津はどこにも見えなくなつたが、惜しいやうに思ふ。T老夫人やH老夫人はそれをとてもおいしがつて食べて下さつた。この夫人方はお若い時からの社交夫人で内外の食通であつたけれど、こんなやうな不断のお八ツはごぞんじなかつたやうに、砂糖でころす時間なぞ悉しく訊かれた。そんなことの後で私はふいと奇妙な感じを持つた。桃をこまかく切つて砂糖をかけて置くことは私の父が好物で、麻布の家のうら畑に一ぽんの桃があつたのが熟すとすぐ採つて小さくきざんで砂糖をかけて私たちみんなで食べた。それは古くからの日本桃で実も小さく、水蜜の熟さないもののやうに青白い色をして、しんに近いところが天津のやうに紅い色だつた。その時分はそんな桃でも、さうして味をつけ加へれば非常においしく、父が外国でさういふ風にして食べなれて来たものと思ひこんで、母に何もそんなことは訊かなかつた。しかし、ひよつとしたら、これは外国風のたべ物でなく…

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