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万葉の手古奈とうなひ処女
まんようのてこなとうないおとめ
作品ID49176
著者杉田 久女
文字遣い新字旧仮名
底本 「杉田久女全集第二巻」 立風書房
1989(平成元)年8月1日
入力者H.YAM
校正者土屋隆
公開 / 更新2009-05-25 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 或日私は沈丁花の匂ふ窓辺で万葉集をひもどいてゐる中、ふと高橋虫麿の葦屋の菟名負処女の墓の長歌に逢着して非常な興味を覚えたのである。
 人も知る如く虫麿は、かの水江浦島子や、真間の手児名や、河内大橋を独り渡りゆく娘子等をよんで、集中異彩を放つ作家であるが、此うなひ処女の一篇はことにあはれ深いものである。
 手を翻せば雲となり、手を覆へば雨となる、萍の如き現代人はかうした古めかしい心情を鼻先で笑ふであらうが、古典ずき万葉ずきの私にとつては、まことにうなひ処女の純情がなつかしい。
吾妹子が母に語らく、倭文手纏賤しき我が故、ますらをの争ふ見れば、生けりとも逢ふべくあれや、
ししくしろ黄泉に待たむと、隠沼のしたばへおきて、打ち嘆き妹が去ぬれば――
のあたり一篇の戯曲をよむ様で、息をもつかせぬ面白さである。
葦の屋のうなひ処女のおくつきを往来と見れば音のみし泣かゆ。
葛飾の真間の井見れば立ちならし水汲ましけむ、手児名し思ほゆ。
 手児奈や、うなひ処女が死をえらんだ純情。青丹よし奈良の都の桜を愛し、萩の野趣をめで、梅花の清香をめづる万葉歌人の純情は、つねに私の詩魂を深くうたずにはおかない。
 俳句の世界にも、手古奈をよんだ句は二三あるが、かゝるふくざつな戯曲的かつとうを、誰か優れた連作の形式でどしどし試みたら、ずゐぶん面白いものが出来はしないかと思ふ。
 私の知人である、佐藤惣之助氏門下の或若い詩人から、原始時代と現代生活との交流する詩境に創作の構成をなしてゐる、原始林といふ詩集をいつか贈られて感じた事であるが、俳句も白然描写のみでなく、又煤煙と、機械との響き丈を素材にして新しがらず、日本民族の上古、原始林の壮大さ、すべて原始時代のもつ力強さを現代生活に交流させ、現代を通じて原始を見るところの重厚悠大なきぼのものが、現れるのも一つの試みではなからうか?
 空しく籠り暮す事は誠に心苦しくもあり又嬉しい事でもある。
 俳句を命とする私は、地上のあらゆる幸福愉悦をも場合によつてはすてゝも、狐り淋しくとも、ただ句修行の峻嶮をきはめたい。
 谷深くさぐる一宇は、永遠の芸術境を求める一つの私の心境をうたつた句であり、遠賀の長堤に青すゝきをかきわけかきわけ孤り辿りゆく句境涯も、生きゆく闘ひをこめた心の姿である。
 地位なく金なく背景なく才もないたゞ瘠腕一本の一久女にとつては、永久に渦まく瀬戸の逆潮をのりきり、風雨とたゝかふ心境も、ゆくべき道もただ尽天地これ俳句の曠野あるのみである。
 私は一生春蘭か白蘭か梅花の気品をもつて、俳句修業の最高の殿堂をめざして只進みたい念願を抱いてゐるものである。
(昭和九年四月八日記)



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