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茶の本
ちゃのほん
作品ID49186
副題01 はしがき
01 はしがき
著者岡倉 由三郎
文字遣い新字新仮名
底本 「茶の本」 岩波文庫、岩波書店
1929(昭和4)年3月10日、1961(昭和36)年6月5日第38刷改版
入力者kompass
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-06-12 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 たやすく郷党に容れられ、広く同胞に理解されるには、兄の性行に狷介味があまりに多かった。画一平板な習俗を懸命に追うてただすら他人の批評に気をかねる常道の人々からは、とかく嶮峻な隘路を好んでたどるものと危ぶまれ、生まれ持った直情径行の気分はまた少なからず誤解の種をまいてついには有司にさえ疑惧の眼を見はらしめるに至った兄は、いまさらのように天地のひろさを思い祖国のために尽くす新しき道に想到したのであった。そしておのが手で守りたててきた東京美術学校を去って橋本雅邦その他の同志と日本美術院を創立したのは明治三十一年(一八九八)の夏、兄の三十七歳の時のことである。
 それからの三年を院の事業の内地での足がために費やし、横山、下村、菱田などいう当時の新進気鋭の士の協力を獲て、明治中葉の画壇に一新気運を喚起した後、明治三十四年(一九〇一)の末に至り、鬱勃の元気に駆られ、孤剣一路、東のかたインドの地の訪問を思いたった。けだし、英国の治下に独立の夢まどかならぬこの不幸の国民と相いだいて、往古の盛時をしのび、大恩教主の法の光をひとしく仰ぐわれら東邦民族の合同をも策し、東洋百年の計も語らってみたかったためであろう。古のギリシャにあこがれの誠をいたすにつれ、今のギリシャの悲境を見るに見かねて、これが救済に馳せ向かわんとした情熱の人詩人バイロンに、風[#挿絵]において性行において大いに類似を示した兄には、そうした大志を自分はいかにもふさわしく考えるのである。その兄のローマンチックな行動は、しかし、時のインド総督カーゾン卿の目に異様の冷光をひらめかせたらしく、豪族タゴール一家の周到な庇護によってわずかに事なきを得は得たものの、ついに久しくかの国に足をとどめかね、また漂然としてさらに西し、かつては美術取調委員の班に列して浜尾氏らと一巡したヨーロッパの一部を再遊した上で、翌年の秋のなかばに兄は帰朝した。このインドの旅中に筆を染め諸方の客舎に稿を続けて、翌三十六年の二月にロンドンのマレー書店から公にしたのが、アジア民族のために芸術の立場から気を吐いた、あの「アジアは一なり」で始まる『東邦の理想』一巻二四四ページである。
 かかる文筆の上の飛躍も因を成して兄は、米国最高の文芸の府をもってみずから誇るボストンの地に多くの知己を得た。そして翌明治三十七年以降は大正三年の病没の年に至るまで、そこの世界屈指の美術博物館に、日本およびシナの部の首脳として、毎年の半ばをかの地に過ごすに至った。兄が『日本の目ざめ』一巻をニューヨークのセンチュリ会社から出版したのもこの年の十一月である。
 こうした異郷の空のほとんど定期になった半歳の間、ドクタ・ビゲロ、ミセス・ガードナその他の新旧の友人からの心づくしの数々にかかわらず、感傷に満ちた兄は、その動きやすい詩心に、本国の思い出も深く、五浦の釣小舟さては赤倉のいで湯…

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