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![]() ゆきのすくそで |
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作品ID | 49197 |
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著者 | 鈴木 鼓村 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」 ちくま文庫、筑摩書房 2007(平成19)年7月10日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2008-10-03 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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古びた手帳を繰ると、明治廿二年の秋、私は東北の或聯隊に軍曹をして奉職していたことがあった。丁度その年自分は教導団を卒業した、まだうら若い青年であった。
当時、その聯隊の秋季機動演習は、会津の若松の近傍で、師団演習を終えて、後、我聯隊はその地で同旅団の新発田の歩兵十六聯隊と分れて、若松から喜多方を経て、大塩峠を越え、磐梯山を後方にして、檜原の山宿に一泊し、終に岩代、羽前の境である檜原峠を越えて、かの最上川の上流の綱木に出で、そして米沢まで旅次行軍を続けたのであった。
時は十一月の中旬、東北地方は既に厳霜凄風に搏たれて、ただ見る万山の紅葉は宛らに錦繍を列るが如く、到処秋景惨憺として、蕭殺の気が四隣に充ちている候であった、殊にこの地は東北に師団を置きて以来、吾々が初めて通る難路のことであるから、一層に吾々の好奇心を喚起したのであった。第一、この会津地方には一般怪談の如きは乏しくない、殊に前年即ち明治廿一年七月十五日には、かの磐梯山が噴火して、為めに、そのすぐ下に横たわる猪苗代湖に注ぐ、長瀬川の上流を、熔岩を以て閉じた為めに、ここに秋元湖檜原湖と称する、数里にわたる新らしい湖を谿谷の間に現出した、その一年後のことであるから、吾々の眼にふるる処、何れも当時の惨状を想像されない処はなかった、且つその山麓の諸温泉には、例の雪女郎の談だの、同山の一部である猫魔山の古い伝説等は、吾々をして、一層凄い感を起さしたのである。
そして、この檜原の宿とても、土地の人から聞くと、つい昨年までは、その眼の前に見える湖の下にあったものが、当時、上から替地を、元の山宿であった絶項の峠の上に当る、この地に貰って、漸くに人々が立退いたとのことである。
吾々は、次ぎの日に、この新らしき湖を、分隊毎に分れて、渉ったが、この時の絶景といったら、実に筆紙にも尽し難い、仰向いて見れば、四方の山々の樹々が皆錦を飾って、それが今渉っている、真青に澄切ってる、この湖に映じて、如何な風流気のない唐変木も、思わず呀と叫ばずにはおられない、よく談話にきく、瑞西のゲネパ湖の景も、斯くやと思われたのであった、何様、新湖のこととて、未だ生々しいところが、往々にして見える、船頭の指すが儘に眺めると、その当時までは、村の西にあって、幾階段かを上ったという、村の鎮守の八幡の社も、今吾人の眼には、恰もかの厳島の社の廻廊が満つる潮に洗われておるかのように見える、もっと驚いたのは、この澄んでいる水面から、深い水底を見下すと、土蔵の白堊のまだ頽れないのが、まざまざとして発見されたのであった、その他湖上の処々に、青い松の木が、ヌッと突出ていたり、真赤に熟した柿の実の鈴生になっておる柿の木が、とる人とてもなく淋しく立っているなど、到底一寸吾々が想像のつかぬ程の四辺の光景に、いたく異様の感を催して、やがてかの東北有数の嶮阪なる○○峠…