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鼎軒先生
ていけんせんせい
作品ID49247
著者森 鴎外 / 森 林太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鴎外全集 第二十六卷」 岩波書店
1973(昭和48)年12月22日
初出「東京經濟雜誌 第六十三卷第千五百九十一號」1911(明治44)年4月22日
入力者岩澤秀紀
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-06-08 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 鼎軒先生には一度もお目に掛かつたことがない、私は少壯の頃、暇があれば本ばかり讀んでゐたので名家の演説などをもわざ/\聽きに往つたことが殆ど無い、そこで餘所ながら先生のお顏を見る機會をも得ないでしまつた、
 先生がアアリア人種に日本人も屬するといふことを論じた小册子を出された頃であつた、友人上田敏君が宅の二階に來て、話をしてゐられた、私はふいと思ひ出して、かう云つた、
「僕は此頃田口卯吉と云ふ人の書いた本を見たが、日本人がアアリア人種だと云ふ論斷がしてある、そしてその理由として擧げてある言語學上の事實が、間口ばかり廣くて手薄である、學者はあんな輕卒な論斷をしては困るぢやないか、」
 かう云ふと、上田君が愛敬のある疊なり合つた齒を見せて、意味ありげに笑つた、
「田口さんは僕の親類だ、」
 此時私は始て田口上田兩家の關係を知つた、そして鼎軒先生が幾分か自分に接近して來られたやうに感じた、その後幾年か立つた、
 或る日又上田君が來て話してゐる間に、かう云はれた、「今度田口の子が卒業して君の部下になるから、どうぞ使つて遣つてくれ給へ、」これが文太さんが陸軍の藥劑官になつた時の事であつた、
 それから何處やらまだ坊つちやんらしい處の殘つてゐる文太さんに、役所でも役所の外でも次第に心安くなつて、間接に故人鼎軒先生に接近するやうな心持がして來た、
 彼此するうち、先生の七囘忌が來た、そこで上田君からも文太さんからも、私に何か言へと云ふことである、
 私は何を言つたら好からう、
 先生には公生涯と云ふ一面と、學者の經歴と云ふ一面とがある、公生涯の方は私は餘り縁遠いから、何とも云ひ兼ねる、只學者としての鼎軒先生に就いて、大體の事が云ひたい、
 併しかう引離して、先生の一面丈を説くと云ふことは、稍無理になりはすまいかと思はれる、それは先生の公生涯と學者生涯とは密接してゐるからである、
 先生のあらゆる學問上の意見には、デモクラチイの影でないまでも、デモクラチスムの影を印してゐる、それで官學と違ふ、此點から言ふと、鼎軒先生の學問は福澤先生に近い、
 私は一般の人格の上から、兩先生を軒輊しようとは思はない、併し學問に於いては、鼎軒先生の勝つてゐられる處がある、私はそれが言ひたい、
 私は日本の近世の學者を一本足の學者と二本足の學者とに分ける、
 新しい日本は東洋の文化と西洋の文化とが落ち合つて渦を卷いてゐる國である、そこで東洋の文化に立脚してゐる學者もある、西洋の文化に立脚してゐる學者もある、どちらも一本足で立つてゐる、
 一本足で立つてゐても、深く根を卸した大木のやうにその足に十分力が入つてゐて、推されても倒れないやうな人もある、さう云ふ人も、國學者や漢學者のやうな東洋學者であらうが西洋學者であらうが、有用の材であるには相違ない、
 併しさう云ふ一本足の學者の意見は偏頗である、偏…

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