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こんにゃく売り
こんにゃくうり
作品ID49288
著者徳永 直
文字遣い新字新仮名
底本 「徳永直文学選集」 熊本出版文化会館
2008(平成20)年5月15日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-01-01 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

   一

 私は今年四十二才になる。ちょうどこの雑誌の読者諸君からみれば、お父さんぐらいの年頃であるが、今から指折り数えると三十年も以前、いまだに忘れることの出来ないなつかしい友達があった。この話はつくりごとでないから本名で書くが、その少年の名は林茂といった心の温かい少年で、私はいまでも尊敬している。家庭が貧しくて、学校からあがるとこんにゃく(蒟蒻)売りなどしなければならなかった私は、学校でも友達が少なかったのに、林君だけがとても仲よくしてくれた。大柄な子で、頬っぺたがブラさがるように肥っている。つぶらな眼と濃い眉毛を持っていて、口数はすくないがいつもニコニコしている少年だった。もっとも林君もたっしゃでいてくれればもうお父さんになってる筈だから、ひょっとすればその林君の子供が、この読者にまじっていて、昔の茂少年とそっくりに頬っぺたブラさげてこの話を読んでいるかも知れない。もしかそうだったらどんなに嬉しいだろう。
 私は五年生ごろから、こんにゃく売りをしていた。学校をあがってから、ときには学校を休んで、近所の屋敷町を売り歩いた。
 私は学校が好きだったから、このんで休んだわけではない。こんにゃくを売って、わずかの儲けでも、私の家のくらしのたすけにはなったからである。お父さんもお母さんもはたらき者だったが、私の家はひどく貧しかった。何故貧しかったのか、私は知らない。きょうだいが沢山あって、男の子では私が一ばん上だった。
 こんにゃくは町のこんにゃく屋へいって、私がになえるくらい、いつも五十くらい借りてきた。こんにゃくはこんにゃく芋を擦りつぶして、一度煮てからいろんな形に切り、それを水に一ト晩さらしといてあくをぬく。諸君がとんぼとりにつかうもちは、その芋をつぶすときに出来るおねばのことであるが、さてそのこんにゃく屋さんは、はたらき者の爺さんと婆さんが二人きりで、いつも爺さんが、
「ホイ、きたか――」
 と云って私にニコニコしてくれた。
「きょうはいくつだ、ウン、百くらい持っていって売ってこい」
 頭をなでてくれたり、私が計算してわたす売上金のうちから、大きな五厘銅貨を一枚にぎらしてくれることもあった。
 五厘銅貨など諸君は知らないかも知れぬが、いまの一銭銅貨よりよっぽど大きかったし、五厘あると学校で書き方につかう半紙が十枚も買えた。私はこんにゃく一つ売って一厘か一厘五毛の利益だったし、五十みんな売っても五六銭にしかならない。
 ところが、その五十のこんにゃくはなかなか重い。前と後ろに桶に二十五ずついれて、桶半分くらい水を張っておかないと、こんにゃくはちぢかんでしまうから、天秤をつっかって肩でにないあげると、ギシギシと天秤がしまるほどだった。
 ――こんにゃはァ、こんにゃはァ、
 大きな声でふれながら、いつも町はずれから、大きな屋敷が沢山ある住宅地の方へいった。こ…

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