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少年の食物
しょうねんのしょくもつ
作品ID49299
著者木村 荘八
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻85 少年」 作品社
1998(平成10)年3月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-01-02 / 2014-09-21
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は初めて絵を見たのは何が最初か、一寸おぼえていません。多分好んで見たのはポンチ絵だったろうと思います。窓から乞食が麦わらで室内の人の飲みものを飲む絵だとか、団十郎が尻に帆をかけて大阪へ行く? 絵などおぼえています。先是、私の家の二階の広間には大きな墨絵の龍を描いた額(三間幅位のもの)がありましたが、好きではありませんでした。私の室には何にも額はありませんでしたが、兄キの室へ行くと、そこのはいってふり向いた上の壁のところには――あれはどう云う性質のものだったろう? 何しろ石版画には相違ない。或いは、当時の市会議員の像かも知れぬ? そう云う、沢山に人のいる、それが各々小判形の中に、ベタ一面人のいる額がかかっていました。紙が黄ろくくすんでいたことと、星亨がいたこと、その顔は今もおぼえています。中に私の父もいるのでそれでヘンに好意を持っていた額です。――之等が私にとって最初の、座右の絵です。
 それから同じ室の床の間に、大字で「来者不拒、去者不追」と二行に書き下ろした草書の大幅がかかっていました。右の行の不がふと書いてあって左の行の初めの去が、この土のところの十が大変太く、大きく書いてあった。――恐らく私は此の幅を十八年間眺めたものかも知れません。今思えば年中かけっぱなしで、おかしなものだが、何しろ必ず此の幅は兄キの室の床の間にあって、あの床の間にはあれがあるものと思っていました。尤も時々何だか薄い絵だとか、歴代天皇の御像だとか、正月には七福神とか、僕の五月には鍾馗、妹の三月には雛などとかけ代ったことはある。然し一時のことで、直ぐ又ドカンとした来者不拒……に代ります。又来者不拒が一番ぴったりとした、と云うより気に入った、これが出ていると気のすむような、いつものかけじでした。
 ――この文言が長らく読めませんでしたし、読んでもらっても、わかりませんでした。否、読むものなどとも別段思いません。見ていると不の字のふが、それ一字だけいつでも「ふ」と読めて気に入るし、去の頭の大きいのが何となく面白くて仕方ない。来る者は拒まず、去る者は追わず、と。之をこう読んで、それからその意味を何となく了解したのは極く極く後のことです。
 私は、その家と十八の年に別れました。別れて浅草の家へ引越しましたが、却って、引越してから来者不拒のかけじを度々思い出しました。
 実は此の来者不拒、去者不追と云うのがその後段々と好きになって、感想などにも、時々此の句を入れた。入れたくなる場合がありましたし、第一、懐しいせいもある。来者不拒、去者不追。かなり本当のこととその情操を感じたこともあります。
 その後今では別段何とも思いません。こう云うかんばんをかけたいとは更々思いませんし、少し皮肉な見方かも知れないが、或いはあのかけじは誰か悟り切れない坊さんか、政治家のしくじりなどが気やすめに書いたものでは…

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