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大島が出来る話
おおしまができるはなし
作品ID493
著者菊池 寛
文字遣い新字新仮名
底本 「現代日本文學大系 44 山本有三・菊池寛集」 筑摩書房
入力者網迫
校正者上岡ちなみ
公開 / 更新1999-02-02 / 2014-09-17
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 苦学こそしなかったが、他人から学資を補助されて、辛く学校を卒業した譲吉は、学生時代は勿論卒業してからの一年間は、自分の衣類や、身の廻りの物を、気にし得る余裕は少しもなかった。
 学生で居た頃は、彼はニコニコの染絣などを着て居た。高等程度の学生としては、粗服に過ぎて居た。が、衣類に対しては、無感覚で無頓着であった譲吉は、自分の着て居る絣が、ニコニコであるか何であるかさえ知らなかった。
 そして豪放と云う看板の下に、自分の粗服を少しも気に掛けまいとした。実際また気に掛けても居なかった。
 が、譲吉が一旦学校を卒業してからと云うものは、服装を調える必要を痛切に感じ始めたのである。彼が学生時代から、ズーッと補助を受けて居る、近藤氏の世話で××会社に入社した当初は、夫が不快になるまで、自分の服装の見すぼらしさを感じたのである。
 夫は夏の終であったが、彼は、初て出社すると云うのに、白地の木綿絣を着て居るに過ぎなかった。
 課長と、初対面の挨拶が済んでから、彼は同僚となるべき人々に、一々紹介された。
「岡村君に吉川君。」と、課長は最初に、二人の青年を紹介した。岡村と云われた青年は、中肉の身体にスッキリと合って居る、琥珀色の、瀟洒な夏服を着て居た。そして、手際よく結ばれた玉虫色のネクタイが、此の男の調った服装の中心を成して居た。吉川と云う方は、明石縮の単衣に、藍無地の絽の夏羽織を着て、白っぽい絽の袴を穿いて居た。二人とも、五分も隙のない身装である。夏羽織も着て居ない譲吉は、此の二人の調った服装から、可なり不快な圧迫を受けた。夫は、対手が人格的に、若しくは学問的に、また道徳的に、自分に優越して居る為に受くる圧迫とは、全く違って居る。考えて見れば下らない事かも知れなかった。が、夫にも拘わらず、その圧迫は、可なりに重苦しく、不快なものであった。岡村と吉川との、二人ばかりではなかった。その後から紹介された、十五六人の人々は、一人として、譲吉のような、見すぼらしい様子はして居なかった。
 譲吉はその後、一週間ばかり、毎日自分の服装の不備に就いての、不快な意識を続けて居た。其の裡に漸く、譲吉の世話になって居る、近藤夫人の好意になる背広が、出来上ったのであった。
 自分の家が貧しい為、何等の金銭上の補助を仰ぎ得ない譲吉に取っては、近藤夫人が何かにつけて唯一の頼りであった。譲吉が高等商業の予科に在学中、故郷に居る父が破産して危く廃学しようとした時、救い上げて呉れたのは、譲吉の同窓の友人であった近藤の父たる近藤氏であった。夫以来譲吉はズーッと、学資を近藤夫人の手から仰いで居た。が、近藤夫人の譲吉に対する厚意は、ただ学資の補助と云う、物質的の恩恵には、止まらなかった。
 譲吉に対する夫人の贈与なり注意には、常に温い感情が、裏附けられて居た。その温情を譲吉は、沁々と感じて居るのであった。学資…

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