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一九二八年三月十五日
せんきゅうひやくにじゅうはちねんさんがつじゅうごにち
作品ID49394
著者小林 多喜二
文字遣い旧字旧仮名
底本 「戰旗 昭和三年十一月号」 全日本無産者藝術聯盟本部
1928(昭和3)年11月1日
「戰旗 昭和三年十二月号」 全日本無産者芸術聯盟本部
1928(昭和3)年12月1日
初出一~四「戰旗 昭和三年十一月号」全日本無産者藝術聯盟本部、1928(昭和3)年11月1日<br>五~九「戰旗 昭和三年十二月号」全日本無産者藝術聯盟本部、1928(昭和3)年12月1日
入力者林幸雄
校正者富田倫生
公開 / 更新2009-03-15 / 2014-09-21
長さの目安約 96 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         一

 お惠には、それはさう仲々慣れきることの出來ない事だつた。何度も――何度やつてきても、お惠は初めてのやうに驚かされたし、ビク/\したし、周章てた。そして、又その度に夫の龍吉に云はれもした。然し女には、それはどうしても強過ぎる打撃だつた。
 ――組合の人達が集つて、議題を論議し合つてゐるとき、お惠がお茶を持つて階段を上つて行くと、夫の聲で、
「嬶の意識の訓練となると、手こずるつて……。」さう云つてゐるのを一度ならず聞いた。
「××は臺所から――これは動かせない公式だからなあ。小川さん、甘い、甘い。」
「實際、俺の嬶シヤポだ。」
「ワイフとの理論鬪爭になると、負けるんだなあ。」と、そして、皆にひやかされた。
 夫は聲を出して、自分で自分の身體を抱えこむやうに、恐縮した。
 朝、龍吉が齒を磨いてゐた。側で、お惠が臺所の流しに置いてある洗面器にお湯を入れてやつてゐた。
「ローザつて知つてるか。」夫が楊子で[#「楊子で」は底本では「揚子で」]、口をモグ/\させながら、フト思ひ出して訊いた。
「ローザア?」
「ローザさ。」
「レーニンなら知つてるけど……。」
 龍吉はひくゝ「お前は馬鹿だ。」と云つた。
 お惠はさういふ事をちつとも知らうと思ひ、又はさうするために努めた事さへ無かつた。それ等は覺えられもしないし、覺えたつて、どうにもならない氣がしてゐた。「レーニン」とか「マルクス」とか、それは子供の幸子から知らされた位だつた。一旦それを覺えると、自家にくる組合の工藤さんとか、阪西さんとか、鈴本さんとか、夫などが口ぐせのやうに「レーニン」とか「マルクス」とか云つてゐるのに氣付いた。何かの拍子に、だから、お惠が「マルクスは勞働者の神樣みたいな人なんだつてね。」と、夫に云つたとき、夫が、へえ! といふ顏付でお惠を見て、「何處から聞いてきた。」と賞められても、さう嬉しい氣は別にしなかつた。
 然しお惠は、夫や組合の人達や、又その人達のする事に惡意は持つてゐなかつた。初め、然し、お惠は薄汚い、それに何處かに凄味をもつた組合の人達を見ると、おぢけついた。その印象がしばらくお惠の氣持の中に殘つてゐた。けれども變にニヤ/\したり、馬鹿丁寧であつたりする學校の先生(夫の同僚)などよりは、一緒に話し合つてゐるとみんな氣持のよい人達だつた。物事にさう拘はりがなく、ネチ/\してゐなかつた。かへつて、子供らしくて、お惠などをキヤツ/\と笑はせたり、初めモヂ/\しながら、御飯を御馳走になつてゆくと、次ぎからは自分達の方から「御飯」を催促したりした。風呂賃をねだつたり、煙草錢をもらつたりする。然し、それが如何にも單純な、飾らない氣持からされた。だん/\お惠は皆に好意を持ち出してゐた。
 港一帶にゼネラル・ストライキがあつた時、お惠は外で色々「恐ろしい噂さ」を聞いた。あの工藤さん…

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