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神田界隈
かんだかいわい
著者楠山 正雄
文字遣い新字新仮名
底本 「出版人の遺文 冨山房 坂本嘉治馬」 栗田書店
1968(昭和43)年6月1日
入力者鈴木厚司
校正者hitsuji
公開 / 更新2018-11-26 / 2018-10-24
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「芝で生まれて神田で育ち」というふるい文句があるが、私は芝でこそ生まれないが、ついそのお隣り区の銀座で生まれて十三年、早く明治三十年代に、その時分、駿河台の、多分いまの明大校舎の辺にあった、伯父の博士樫村氏の山竜堂病院に寄寓の時代、一たび神田との縁がむすばれ、それから後、多少の断続はあっても、四十年代の末ふたたび冨山房を通して神田とはなれぬ関係ができて、いつの間にか二十五年、かれこれ前後四十年にも近い、いわば人間のほぼ一代を、なんということなしに、神田界隈、というよりも、駿河台――神保町をむすぶ二町にも足りない、それこそ、まいまいつぶろの角よりも短い線の上を、往きつ戻りつ、どうやら過ぎて来たようである。奇因縁といえば奇因縁、はかないといえば、まことにはかないようなものであった。
 こんなわけで、少年時代から育ててもらって、神田はいわば、私の第二の故郷ではあるが、さて四十年を追懐してみて、とり立てていうほどに今昔の感じのおこらないのは、神田という中にも、この神保町・駿河台界隈が、むかしも今も、古本屋さんと学校と、そうして病院の町である外貌に、さして変りがないためであろう。
 そうはいっても、むろん、今の神田はむかしの神田ではない。冨山房前を今川小路にぬける通りが、ふしぎにむかしとさしてちがわない町幅のままで、今もあるほかは、どこもここも路面がとり拡げられて、あれほど多かった小路や新道がほとんど跡も知れなくなった。お茶の水から九段へぬける長い通りなど、四、五間の幅にも足りない狭さで、両側の古本屋の店先きを、右から左へ縫うようにしてひやかしてあるいたものであったが、今は明大横の、ほんの半町ほどの商店街に、わずかに狭かったその頃の通りの名残りをとどめているにすぎない。さしも目白押しに両側に軒をならべた古本屋が、ほとんど南の片側にばかり集まってしまって、昼時すぎて、学生大群がさっと引上げてしまったあと、いたずらにだだっ広い路面の上を、あまり客ののっていない電車と、から円タクが閑散らしく走っているのが、立派にはなったが、昔にくらべて何となく空しい感じのする、今の学生街の午後風景である。
 町の地形が変るより以上に住む人も変ったが、でも長い年月の試練にのこって今も栄えている店は、さすがにどこも大きく変った。冨山房のある神保町の通りだけでいっても、平べったい木造二階建の瓦屋の、古風な千本格子の窓下に、べたべたと机を畳にならべて仕事をしていた冨山房が、七階の美しい大ビルディングになったのをはじめ(開新堂、敬業社、同文館――明治文化に貢献した幾つかの大書店を失った代りに)、どこもあの頃からみると、五倍、六倍もの大商店に発展した。
 書肆もそうだが、学校というものもよく続いて行く。上野清さんの数学院が東京中学になり、松見順平さんの順天求合社が順天中学になり、杉浦鋼太郎さんの…

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