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蝙蝠の歴史
こうもりのれきし
作品ID49506
著者片山 広子
文字遣い新字旧仮名
底本 「燈火節」 月曜社
2004(平成16)年11月30日
入力者竹内美佐子
校正者林幸雄
公開 / 更新2009-10-01 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 古いゲエルの伝説に出てくる蝙蝠の話を読むと、昔の昔から彼はきらはれものであつたらしい。蝙蝠にはいろいろの名があつたらしいが「黒い放浪者」といふのが一ばん詩的な名だとその伝説の筆者は書いてゐる。
 世界の初めごろ蝙蝠は川蝉のやうに青い色で、胸は燕のやうに白く、そしてうるほひ深い大きな眼を持つてゐたから、その眼の色とひらめく羽根のうごきとで「きらめく火」といふ名でもあつたが、世の中が移り変つてその「きらめく火」が「黒い放浪者」とまでなつてしまつた。
 キリスト「御苦難」の日の出来事である。一羽の駒鳥が飛んで来て十字架の上にくるしむキリストの手から足から茨の刺を抜かうとして、キリストの血で小さい胸を赤く濡らしてゐるとき、蝙蝠がひらひらその辺を飛び廻つて、「何と私は美しいだらう! 私が飛ぶのは早いだらう!」と自慢らしく鳴いた。キリストはお眼をふり向けて蝙蝠をごらんなされた。すると潮が引いてゆく時のやうに、青と白の色が蝙蝠の体から消えて行つた。蝙蝠はめくらになり黒い体になつてぱたぱた飛んで、折しも迫る夜の中にとび入り、暗黒の中に永久に溺れてしまつた。それからは黄昏と夜の世界にだけ彼はあてもなく旋回しながら飛びまはり「なんと私は眼が見えない! 私のみにくさを見てくれ!」と、ほそいほそいかすれた声で鳴くのである。
 その同じ話し手から聞いたことでは、蝙蝠は雷のために枯れた樹と稲妻とのあひだに生れた子供であるさうだ。又もう一つ聞いた名は「誇り高き父の畸形児」といふので、誇り高き父は、誇り高く花々しい天使、「悪の父」サタンである。なぜ蝙蝠がサタンの畸形児であるかといへば、それもまた御苦難にまつはる物語である。ユダが裏切をしたあとで樹の枝でくびれ死ぬと、ユダの魂が歎きなげき風に乗つてさまよひ出た、すると「誇り高き父」はそのみじめな魂をさげすみ切つてこの世に投げ返してよこした。しかし、投げ返す前に「誇り高き父」はその卑しいものをひねり曲げ幾たびもひねり曲げ、四百四十四回ひねり変へたので、それは人間でもなく鳥でもない、けものでもない、何よりも、卑しい鼠にいちばんよく似てゐて羽根を持つた生物の姿に変へた。「最後の日まで盲目と暗黒の中に住み、永久にのろはれてゐよ」と、「誇り高き父」が言つたさうである。それで「黄昏の逡巡者」は手も足も萎え、眼も見えず、恐れ、うたがひ、ためらひながら、幽霊のやうな声で「死ぬ日まで、死ぬ日まで」と泣きさけびながらさまよひ飛ぶのださうである。
 アルガイルの或る地方では、蝙蝠は鷲の三代、鹿の六代、人間の九代を生きると言つてゐる。もつと詩的でない正確さで勘定した人があつて、蝙蝠のあの逃げまはる時間が十三年で、一生の全部は三十三年だと言つた。また平均して二十一年のいのちだといふ人がある。リスモルの島から来た漁師の話では「蝙蝠の齢ですか? それはユダがキリストに接…

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