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二人の女歌人
ふたりのおんなかじん |
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作品ID | 49511 |
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著者 | 片山 広子 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「燈火節」 月曜社 2004(平成16)年11月30日 |
入力者 | 竹内美佐子 |
校正者 | 林幸雄 |
公開 / 更新 | 2009-10-08 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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小野小町は小野の篁の孫で、父は出羽守良真とも伝へられ、仁明、文徳、清和の頃の人と思はれるが、生死の年月もはつきり分らず、伝説は伝説を生み、今の私たちには彼女が美しかつたといふ事と、すぐれた歌人であつたといふことだけしか伝はらない。久しぶりにこの頃小町の歌を読みかへす機会があつたが、時代のずれといふやうなものを少しも感じないで読んだ。現代の歌は心理的にかたむいて私にはだんだんむづかしくなつて来てゐる時、むかし私が「歌」と教へられてゐたさういふ歌にまたもう一度めぐり会つたやうな感じであつた。彼女の家集の歌はさう沢山はないけれど、すこし抜いてみよう。
花の色はうつりにけりな徒らにわが身世にふるながめせしまに
山里のあれたる宿を照らしつつ幾夜へぬらむ秋の月影
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを
うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき
いとせめて恋しき時はうばたまの夜の衣をかへしてぞきる
夢路には足もやすめず通へども現にひと目見しごとはあらず
岩の上にたび寝をすればいとさむし苔の衣を吾にかさなむ
わびぬれば身をうき草の根をたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ
日ぐらしの鳴くやま里のゆふぐれは風よりほかに訪ふ人もなし
木枯の風にもみぢて人知れずうき言の葉のつもる頃かな
ちはやふる神も見まさば立ちさわぎ天の門川の桶口[#「桶口」はママ]あけたまへ
卯の花の咲ける垣根に時ならでわが如ぞ鳴く鶯の声
あるはなくなきは数そふ世の中にあはれいづれの日までなげかむ
はかなくて雲となりぬるものならば霞まむ方をあはれとも見よ
吹きむすぶ風は昔の秋ながらありしにも似ぬ袖の露かな
ながめつつ過ぐる月日も知らぬまに秋の景色になりにけるかな
春の日の浦々ごとに出でて見よ何わざしてか海人は過ぐすと
木の間よりもり来る月の影見れば心づくしの秋は来にけり
あはれてふ言こそうたて世の中を思ひはなれぬほだしなりけれ
あはれなりわが身のはてや浅みどりつひには野辺の霞とおもへば
「浅みどり……」のこの歌はたくましい。彼女がふるさとのみちのくまで帰つてゆく途中で死んだといふ伝説も本当であつたやうな気がする、このたくましさは少し位のことで弱りはしない、行くところまで行かうとしたのであらう。昔の秀れた女たち、小野小町、和泉式部、式子内親王、それからわれわれの時代に生きた與謝野[#「與謝野」は底本では「輿謝野」]晶子。かれらはするどい才智とたくましい心を歌に投げ入れて生きてゐたのであつた。
晶子の歌集を全部大森の家に置いて来たので、私の手もとには遺稿の「白桜集」だけしかないけれど、今その内から少し抜いて、千年か二千年に稀にうまれ出るすぐれた歌人たちの心に触れて見よう。ふしぎにも「白桜集」の歌は若かつた日の彼女の歌とは異つたものを伝へる。
一人出で一人帰りて夜の泣かる都の西の…