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トイレット
トイレット |
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作品ID | 49518 |
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著者 | 片山 広子 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「燈火節」 月曜社 2004(平成16)年11月30日 |
入力者 | 竹内美佐子 |
校正者 | 林幸雄 |
公開 / 更新 | 2009-10-05 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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何年も何十年も前のことが記憶の中のどこかによどんで残つてゐて、明方の夢にそれをはつきり見ることがある。これは夢にみたのではなく、何の用もなくつながりもないことなのに、ふいと思ひ出したのである。明治もまだわかい二十四五年ごろか、もつと前の事だつたかもしれない、麻布一聯隊の兵舎に近い三河台の丘の家にゐた頃のこと。
三河台の家は、私がそこで生れて十八まで暮した家であるから思ひ出すこともしばしばであるが、今おもひ出したのはその家のお客便所のことである。旗本の古いひろい家であつたからむろん上下の便所はあつたが、ある時父が外国勤めから帰つて来てその古い家に西洋間、つまり応接間を建増した、家の一ばん西の隅の方で十六畳位の広さの純西洋風の部屋で、窓のカアテン、壁にかけたいくつもの額、テイブル、びろうどのテイブル掛、椅子、タバコセツト、マツチ皿、かざり棚と本棚、何もかも十九世紀の厚みのある正しい飾りつけであつた。南の窓からは芝庭の向うの芝生の築山、芝の中をうねりまがつた細い道、やや西方に片よつて立つ一本の大きなぼたん桜などが見えてゐたが、その南の二つの窓を通り越した西の壁に一つの扉があつて、そこからお客さん便所に入るのであつた。家の人たちはそれを「お手水場」と言つて、家庭用の上下のそれを簡単に「はばかり」と言つてゐた。つまりお客さんのお手を洗ふところであり、家庭用のは、言ふのもはばかりがあるといふ訳で「はばかり」なのだつた。
さて、そのお手水場はもちろん実用のためであつたが、しかし大に芸術的のものでもあつて、まづ中に入ると、とつつきは三畳ぐらゐの広さで南と西に大きなガラス窓があり、南の窓からは海棠や乙女椿や、秋には大きい葉のもみぢなぞガラス越しに見えてゐた。西側の窓の下に洗面所があつて、現代のやうにタイル張りなぞないから、白い竹とゴマ竹とをしやれた縞にはりつめたすのこがあつて、水入れと洗面器が伏せてあり、右手の台の小さい桶から今の水道と同じやうに水が出た。そとに天水桶があつて雨水をそなへてその小桶に通じてあつたやうである。その洗面所の下に籠があつて手ふきの濡れたものを投げ入れるやうになつてゐた。すのこの左手に飾りのない化粧台みたいな棚があつて、小さいタオルのおぼんと櫛やブラシが載せてあり鏡は楕円形のものが掛つてゐた。それから入口の扉に近い壁の小棚には蝋燭立にふとい蝋燭を立てたのが置いてあつた。
その取付の床は一面にじうたんが敷いてあり、細かい赤い花と黒い葉の模様で、小花の薔薇であつたやうに思はれる。そのじうたんを上草履で踏んで右手の壁のまん中にある三尺巾の引戸を開けると、そこが本当のお手水場であつた。西にやや高い窓がずうつと一間だけ通して開いてゐた。泥棒用心に荒い竹の格子があつたやうに思ふ。その窓に向つて応接間寄りの壁に、横に長い六尺の腰掛が壁から壁まであつて奥ゆきは…